1998/06/11
上田清司議員 総理のODA疑惑に迫る
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●『中国人女性はパスポートと帰化申請書類の生年月日が違う』
――なぜ日本国籍取れたのか
上田清司衆議院議員は岡田議員につづいて11日の予算委員会で菅代表の関連質問に立ち、橋本総理が中国への政府開発援助額を不正に上積みしていたのではないかというODA疑惑について、独自の調査に基づいて追及した。
上田議員は中国の白求恩(ペチューン)医科大学への日本の無償援助プロジェクト担当者だった中国人女性の調査のため、「休日を利用して北京、長春に行って来た」として、「彼女のパスポートの生年月日は1955年6月20日だが、日本への帰化申請書類では1953年6月20日となっており、2カ年違っている。外務省に提出した書類と法務省に提出した書類の生年月日が違う人が、なぜ帰化を許されたのか」と質問した。
下稲葉法相は「一般論として帰化を希望する人の書類は相手国からもいただく。本件についても生年月日は一致した」と答え、外務省当局は「プライバシーなのでこのような場での公表は差し控える」と答弁した。
上田議員は「彼女は元夫から訴えられて裁判になり、様々な報道で『彼女の経歴は公安スジ』などと伝えられていたのに、なぜ許可されたのか」と、日本国籍取得に疑問を提示し、外務省と法務省の書類について予算委への資料要求をした。この要求は理事会で協議されることになった。
上田議員は「彼女はパスポートを2つも3つも持っており、中国側では白求恩(ペチューン)医科大学建設の最大の功労者とされていることを指摘しておく」と締めくくった。
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