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民主党アフガニスタン・中東訪問団報告書

7.総括
  • アフガニスタン、イラク、パレスチナとイスラエルという世界の3大紛争地域の現場を視察してきた。アフガニスタンとパレスチナ・イスラエルでは機関銃を持った警備員と防弾車に守られての訪問を余儀なくされるほど治安が悪化している。テロとの戦いは、見直しを余儀なくされている。
  • アフガニスタンでは、カルザイ大統領と会談。70%以上の高い投票率の選挙で、55%の得票率で当選した大統領は自信に満ちていた。もともと「テロとの戦い」の原点であるアフガニスタンの復興は、こうした国民の圧倒的な支持と、国連を中心にフランスやドイツなどを含む幅広い国際的な支持を得ていることが、イラクと大きく異なっている。
  • アラファト議長の死により中東和平プロセスは、重要な局面を迎えている。アラファト議長の後継者を選ぶ1月9日の選挙の実施に向けて、対立するパレスチナとイスラエルの双方とも、自制した動きを見せているのが救いだ。この選挙の成功のために、日本は選挙監視団の派遣はもとより、インタファーダ以来激減しているパレスチナへのODAの拡大、イスラエル人入植者撤退後の様々な移管行政の支援や財政支援、生活支援などを行なっていくことが必要。パレスチナのエラカート交渉担当長官からもこうした日本の第三者的な支援への期待が寄せられた。訪問したその日(11月22日)は、米国のパウエル国務長官の訪問と重なり、イスラエルのシャロン首相やPLOのアッバース議長には表敬できなかったが、外交交渉の臨場感を肌で感じることができた。
  • 民主党が10月に提出した「イラク復興支援策」について、各国政府関係者やNGOと意見交換できたのは、有益だった。イラクの状況は、刻一刻と悪化しており、軍隊であろうが民間であろうが、外国人がイラク内で活動するのは困難になっている。ヨルダンのハッサン王子は、イラクで最近イギリス人の女性ボランテイアが殺害されたことに触れ、サダム・フセインの時代ですらこうした人道援助活動が 認められていたのに、イラク戦争後のイラクは全く治安が悪化したと、指摘された。東京で会ったイラク政府の高官も、「イラク戦争前はテロも、人質事件も、大量破壊兵器も存在しなかった」と述べている。
  • その中でも、国際NGOは周辺国やイラク国内のNGOと連携するなどして、現地で活動を続けている。 彼らは、今後もイラク情勢を見極めながら、その時必要であり、出来うる最善のやり方で、援助を 続けていくとの姿勢。
  • 例えば、サマワで給水活動を行っているフランスのNGO、ACTED は、自衛隊よりはるかに格安に効率的に、しかも現地人を育成し、技術移転をしながら活動。一方、ヨルダンからファルージャの戦闘から追われた25万人の被災者に、日夜援助物資を送り続けているイタリア、イギリス、日本のNGOから直接、最前線の話を聞いた。イラク国内のNGO、モスクや宗教団体などと連携し、決死の思いで緊急支援を行っている。
  • 大義なき戦争、戦略なき復興支援、そしてイラク全体に伸びきった戦線により、米国のイラク戦争は見直しを余儀なくされており、米国自身が、作戦を転換する「出口戦略」を検討中との情報を訪問中に聞いた。日本も対イラク政策の見直しを含む自衛隊の「出口戦略」を打ち出すべきであり、 その手段として「イラク特措法廃止法案」の成立をはかるべきであることを確認した。
  • 国連のアナン事務総長は、国連職員一人につき五人の警備員を付けるという条件で、イラクでの選挙実施のために国連職員の派遣を決定した。アナン事務総長は、万が一国連職員に犠牲者が出るならば職を辞する覚悟でおられるとの話を現地で聞いた。わが国総理も、多くの反対の声を押し切って自衛隊の派遣延長を強行するなら、自ら責任を取る覚悟での決断であるべきである。そのぐらい重い判断であるということを今次訪問団は、改めて認識した。
以上