ニュース
ニュース
2001/05/24
民主党地方分権公聴会〜公聴人からの意見陳述/伊藤 寛(福島県三春町長)
 生粋の東北弁でありますので、お聞きにくい点があろうかと思います。その点は我慢してお聞きいただきたいと思います。

 まず第1番目に、地方分権は権限と財源と人間、この三拍子を地方に移譲することによって本物になると私は思います。その面で財源の移譲も基本的に大賛成であります。きょうは知事さんがお二人いらっしゃいます。市町村、基礎自治体の代表は私一人でありますので、大いに気負って申し上げたいと思うんでありますが、地方公共団体を普通は県と市町村とひっくるめて言われておりますが、一くくりにされることには問題がありませんかと申し上げたいと思います。私たちがいま現実に一番体験しておりますのは、たしかに中央政府はかなり考え方が変わってきて、地方分権的になっていることにびっくりするくらいであります。ところが、お二人の県は別かもしれませんが、私たちがいま現実に痛感しておりますのは、どうも中央集権は中間集権にひっかかって終わるのではないか、そういう懸念であります。最近やたらに報告物が多くなりました。職員たちは音を上げております。それからことさらに「町村はもう力がないのだ」ということを言いたげな感じがしてならないと、職員たちはこぼしております。

 そこで私たちは国と県と基礎自治体、そういうぐあいにいろいろ問題を区分して考えてほしいと思いますし、国、県、基礎自治体は上下関係ではなくて、役割分担関係としてお互いの事務をしっかりと精査して、財源の配分比率もそれに基づいて決める、そういう提案が今回の民主党のご提案の中にもありますが、基本的にそれをぜひやってほしいと思います。

 憎まれ口ついでに申し上げますと、権力者よりも、権力者の子分のほうがよほど権力的に振る舞う(笑)、そういうことがあることを辛口で申し上げたいと思います。

 それから地方交付税が本来は決められた割合を地方に国税の中から回すということで財政力の強弱を調整する役割ということで決められたはずなのに、いつの間にか国のイニシアティブで交付金を操作して、国の政策誘導手段として使っている。それは具体的に例を挙げればいろいろありますが、私たちはいつも「アレッ、これは国が地方に交付する、配分するのではなくて、一つのルールに基づいて調整するはずのものではなかったのか」と、不思議に思っております。そういう点では「地方交付税」という言葉自体が不適切だったのだと思います。今回の民主党の案の中で「財政調整交付金」という形に表現が改められておりますが、依然として交付金という言葉が使われておりますのは、ぜひ言葉を変えていただきたいと思います。

 そして先ほど浅野知事がおっしゃったように、財政調整金は地方の代表が集まってその配分の仕方を決める。そういう原則をしっかりと制度的に固めてほしい、そのように私も希望いたしたいと思います。

 もう一つは、たしかに現在の地方交付税の配分方法はきわめて複雑であります。私もきょうここに来るのであらためて資料を引っ張り出して読んでみましたが、頭が三角になりました。頭のいい人たちというのは細かく細かく考えていくものだなと思いますが、いつの間にか文字が見えなくなっているように思います。したがって、こうした配分の方法をもっとシンプルにする、簡素化するという趣旨には私もまったく賛成であります。

 ただ、一つ地方からの代表意見として申し上げますと、単純に人口とか面積だけで補正係数を飛ばされてしまうと困ると思います。その根底には、都市と地方との関係を、今後日本の国のありようをグランドデザインする場合にどう考えるかという根本的な問題にまで遡るかと思うんでありますが、私はぜひそこら辺はきめ細かくやってほしいと思います。いま私たちにとって一番切実な関心事は、地方交付税の改革に当たっては特例債の交付税措置のように国がお約束なさったことはほごにしないでほしい。改革の中でグズグズとわけのわからん形でされてしまっては困る。なんとなれば、われわれ地方自治体はそうした国の約束を前提にして長期的な財政計画を立て、管理しているからであります。この点はぜひ申し上げておきたいと思います。

 残り3分になりましたので、町村合併問題について簡単に申し上げます。私は町村合併一般論として賛成、反対、そんなことは議論してみても始まらないことだと思いますが、ただ気になるのは、いま合併の旗振りをしている人たちの議論を聞いてみますと、どうも診断をちゃんとやらないでカルテを書いているのではないか。適切な診断なしに荒っぽい手術をすれば病気は治る、そう考えているのではないかということであります。私は市町村合併は、行政改革の本質的な解決策とはなり得ない、特効薬とはなり得ないのだ、そこら辺を勘違いしないでいただきたいということを声を大にして申し上げたいと思います。3000余の自治体はいろいろありますから、もちろん合併したほうが賢明なところだってあると思います。そうでないところだってあるんです。そういうことをどうか考えていただきたい。

 そして合併の必要性として二つ挙げられております。財源を効率的に使う。人材確保が図れる。これが合併の効果だと言われておりますが、私はそれは必ずしも合併しなければできないことではないと思います。

 一言だけ、先ほどの浅野知事さんの主張に私も賛成の立場から申し上げたいと思うんですが、冒頭に申し上げました人材を地方に移譲してほしいということであります。私たちの町でも、国とも県とも民間とも活発に人事交流をやっております。これは非常に必要なことです。自治体はいままで閉鎖的であり、内向きでありました。これでは改革はできません。そういう意味で中央官庁から来ていただいた人たちの果たしてくれた役割を私たちは非常に高く評価しておりますし、失業の不安をということでありましたら、どんどん地方自治体に出ていって活躍の場を求めてほしいと思います。私のところで教育長を公募いたしました。実はあれだけの立派な中教審を書いた事務局の方々は大いに張り切って応募してくれるだろう、何人くらい中央官庁から応募があるだろうかと楽しみにしておりました。500人以上応募があった中でただの1人も中央官庁からは応募者がございませんでした。とても残念なことだと思います。これから地方自治体に力をつけるためには、すぐれたテクノクラートをしっかりと確保することは基本的に大事なことでありますので、ぜひ志の高い国家公務員が大いに頑張って応募してほしい。それが地方分権というものではないかと私は思います。

 最後に、今回の民主党の提案の中で「百花繚乱の地方の力」ということがあります。中身は詳しくは申し上げませんが、あんまり大規模合併して人口30万人くらいの規模にするなんていう荒っぽいことをやったら、百花繚乱どころか大変寂しいことになるのではないかと心配をいたしております。

 あとコミュニティ政策ですけれども、たしかに在来型のコミュニティは欠陥もありますけれども、それなりにおもしろみもあります。その在来型のコミュニティのウォッチングをぜひ政策スタッフの方々にはやっていただきたいと思います。このご提案を読みますと、どうも限りなく透明に近いブルーみたいな、コミュニティ政策になるだろうと、そう簡単に問屋はおろしてくれるのかなあというのが率直な印象でありました。

 いずれにいたしましても私の結論としては、霞が関とか永田町で考えるのではなくて、ぜひ現場に足を運んで自治体ウォッチングをして、切りさばいて、しっかりとウォッチングに基づく診断書を書いてほしいということであります。私たちの町も及ばずながらいつでも手術台に上るつもりでおります。よろしくお願いいたします。
記事を印刷する