公共事業を国民の手に取り戻す委員会
目次
はじめに
1.日本の河川とダムの現状
(1)日本は川の国
(2)近代河川工法の導入
2. その破綻
(1)治水論の崩壊
(2)利水論の崩壊
1.都市用水
2.渇水対策
3.農業用水
(3)堆砂の現状
(4)財政負担
3.問題点
(1)建設省の誤り
(2)建設省の対策と限界
1.河川法改正
2.「土地収用法」の改正について
3.国土交通省の発足
4.外国の河川行政とダム対策
(1)アメリカ
(2)ヨーロッパ
5.新しい河川政策=「緑のダム構想」
(1)緑のダムの効用
(2)緑のダムの費用
(3)「緑のダム構想」
〜はじめに〜
私たち「公共事業を国民の手に取り戻す委員会(以下、委員会という)」は2000年10月12日、民主党鳩山由紀夫代表より公共事業の全般的、且つ根源的な改革に関わる諮問を受け、当委員会もこれに対して最も適切な時期に全面的に答申する事を約束した。その際、委員会は包括的な改革案だけでなく、時々のタイムリーな問題に対しても、意見を述べる事にして、今回は現在もっとも大きな問題になっている河川行政とダムを取り上げた。
貴党においてはこの意見を参考に政策を作り、これを実現するように努力されると共に広く国民にアピールされんことを期待するものである。
1.日本の河川とダムの現状
日本の川は、現在、危機に瀕している。川は汚れ、洪水の危険はより高まった。これまで河川行政は建設省河川局を頂点として行政が一手に取り仕切ってきたのであるが、近年その限界がはっきりするようになった。これまでの20世紀の河川行政は一言でいえば、コンクリートのダム論であった。しかしその弊害は余りにも大きく21世紀は緑のダム論に転換されなければならない。
(1)日本は川の国
我が国は、温帯にあって四季を持ち、四つの海に囲まれ、海から生まれる一滴が列島の山々にあたり、川を生み海へ注がれるという、水の豊かな「川の国」ともいうべき美しい国であった。梅雨と台風と雪は、大量の水分をこの小さな島に与えてくれる。
狭いこの国土におよそ3万本もの川がある。日本人は弥生時代以来長い年月をかけて、川の流域ごとに「洪水」を「水害」としない知恵と技術を蓄積してきた。その知恵とは洪水をやり過ごすという哲学であり、技術は遊水地や霞堤であった。そしてそれは江戸中期にはかなり高い完成度を持つようになり、コンピューターなどの高度な技術が支配する現在でも、それと匹敵するあるいはそれを凌駕する思想と技術として世界の注目を浴びているのである。
(2)近代河川工法の導入
しかし日本は明治に入って伝統的な河川政策に代え、近代的な政策を導入した。システム的にいえばそれまで「藩」ごとに行われていた地域適合型・伝統的な政策を、国に一本化して全国一律型・中央集権的な体制にし、技術的に言えば、ヨーロッパ、特にオランダの近代河川技術を取り入れ、自然のまま蛇行している河川の弱い部分を補強するというのではなく、直線にして、早く海に流すというものであった。
さらに 第2次大戦後はこれに加えてアメリカの巨大ダム工法が採用され、以降,日本各地に巨大ダムが、治水、利水(発電、農業、工業、都市用水)を目的として建設されるようになった。
これまで日本で建設されたダムは、別紙の通り2735であり、さらにこれから528のダムが完成ないし建設されようとしている。
日本には一級河川109のうちダムのない川は、1つしかなく、その他の川は、コンクリートで固められ、まるで死んでしまったようになっている。先ほどみた「藩」ごとの「洪水をやり過ごす哲学」や「自然に逆らわない技術」は捨てられたのである。
2. その破綻
(1)治水論の崩壊
近代河川工法は、上流にダムを造り、川を直線に作り替えた上で、堤防をコンクリートで固めるというものであった。当初それは、治水にもっとも適した技術と考えられていたが、次第にそうではなく、かえって流失率を増大させ、且つ流水量を速く激しくし、洪水を引き起こし易くしたと指摘されるようになった。
また日本の場合、ダムの建設計画の多くは遠大な計画になっていて、完成に長期間を要するものとなっている。そのため社会資本整備が停滞し、さらには当該地域社会の将来性が見いだせないなど社会的に大きな混乱と貧困を招いている。
技術論的にみても、 大規模かつ画一的な設計をするため、それぞれ個性の異なる川の物質循環や生物環境を分断するだけでなく、河川と一体となって発展してきた各地の歴史や文化・環境を壊してきた。更に永久と考えられてきたコンクリート構造物が劣化している事も見逃せない。
また建設省は、昭和30年代から40年代にかけての伊勢湾台風等による水害を理由に、多くのダムを建設している。しかし、この時期は戦後復興期から高度成長期にかけての大規模な乱伐により、我が国の山々がかってないほどに丸裸になっていた時期と見事に重なる。事実、乱伐後に植林された樹木が成長するに従い、当時のような大規模水害は減少している。役所の縦割りを理由に、総合的な河川行政、治水対策をおざなりにしてきたことが水害の大きな要因であり、このことはダム以外の治水対策があることを明示している。
(2)利水論の崩壊
政府がダム建設を正当化してきた理由に、治水のほかに都市用水、渇水対策、農業用水のいわゆる利水論がある。しかしこれも今ではほとんど根拠を失ってきている。以下に順次みていく。
1. 都市用水
まず、別表1をみてみよう。
政府は当初極端な右あがりの需要予測を行っていた。しかし、あたかも高度経済成長期が永遠に続くことを前提にしたような、この過大な需要予測の矛盾は覆い隠せず、「ウオータープランン2000」では穏やかな右上がりに、ついで1999年の「ウオータープラン21」ではほぼ横ばいに修正した。
つまり政府自身が今後の都市用水等の水需要の急激な上昇は無いと判断したのである。この一点だけ見ても、ダム建設の根拠が崩れているといって良い。現に最近中止された幾つかのダムはこれが理由となっている。
2. 渇水対策
渇水時に、テレビなどで空になったダムなどが映されるといかにも、ダム建設に必然性があるように見える。しかし実際には渇水時のダムの役割はそれほど大きいものではない。別表2は、1994年の利根川と木曽川を例にとって、渇水時の流量の構成を見たものである。これによると、水を作っているのは森林であり、ダムの役割はその20ないし30%に過ぎないことがわかる。渇水対策として、最も重要な政策は健全な森林の育成であるという事は明らかである。
また異常渇水に対する対策としても、必ずしもダムが必要であるとは限らない。別表3は、同じく利根川と木曽川の農業用水と都市用水の構成をみたものであり、ここから農業用水を旨く使えば、渇水時にもかなりの対応ができる事がわかる。巨額の税金投入と壮大なる環境破壊を行わなくても、「都市用水と農業用水の弾力的活用」という人間の知恵一つで、異常渇水に対しても対応できるのである。さらに地下水を都市の足元の自己水源として見直し、活用する準備をしていく事も大切である。
3. 農業用水
水需要の大きな柱として、かっては農業用水があった。しかし食料不足で増産が緊急の課題であった時代はともかく、最近では米が余るようになり水田用水の需要は減っている。畑地灌漑、園芸に必要な水需要を加えたとしても、新たにダムを造るほど大きな水需要は発生しない。
(3)堆砂の現状
雨の多い我が国では、雨の度ごとに大量の土砂が排出し、落ち葉などと共に直接ダムに流れこむ。本来ダムを造る場合には、あらかじめこの堆砂現象を考えて造らなければならないのであるが、建設省は、河川法が制定された明治29年以来、黒部川の出し平ダムに排砂ゲートをつけた昭和60年までの89年間もの間、まともにこの問題に取り組んでこなかった。
平成2年に総務庁が行った行政監察によると、全国758のダムの4分の1で、当初予想されたスピードの2倍以上のスピードで堆砂が進んでおり、堆砂率70%以上のダムが16か所もあった。平成11年になって、建設省も8つの地方建設局ごとに、1ないし2ヶ所の川を選び、解決方法を実験しているが、成功例はない。
ダムは20世紀最大の産業廃棄物として、手の施しようがないまま放置されようとしているのである。
(4)財政負担
別添ファイルを参照。
3.問題点
(1)建設省の誤り
以上がコンクリートのダムを造り続けてきた日本の決算である。これは、建設省のここ100年来の河川政策の誤りからもたらされている。概括していえば、次の通りである。
1. 森から川、川から海へと繋がる生命体としての川をバラバラに分断してきた。
2. 建設省の治水論、利水論には、上にみたように客観的に誤りがあった。
3. その原因として、日本のようなモンスーン地帯でも、水田を中心とした稲作圏でもなかったオランダやアメリカをモデルにしたということがあるが、最も重要なことは、その誤りに気づいていながら是正できない、あるいはみんなが無責任な状態になっているということであろう。「梅雨期にダムを空っぽにすると、夏に水が足らなくなる」というような現象は、それを端的に示すものである。
4. ダムが造り続けられてきたため、日本では海岸線がおよそ100メートル以上も後退し、海の生物に深刻なダメージを与えている。テトラポットで埋めつくされた海岸線は、「近代日本の発展とは何であったか」ということを深く考えさせる。
(2)建設省の対策と限界
政府(建設省)は、以上のような破綻に対応するため、いくつか新しい政策を取りつつある。
1. 河川法改正
政府は、1997年、100年ぶりに河川法の改正を行った。河川法は近代河川のシステムと工法を導入すべく、明治29年に制定された。昭和39年の新法制定を経て、今回の改正まで実に100年の歴史を3つの原則で貫いてきた。それは、
1. 河川は公共用物であり、保全、利用、管理は適正に行われなければならない。
2. 建設大臣は一級河川(109水系)、都道府県知事は二級河川(2707水系)を管理する。これを水系一貫主義という。
3. 河川法は治水と利水を目的とする。
ということである。
1997年の河川法改正は、これに対してcの目的に治水と利水以外に環境を入れた上で、水害の発生状況、水資源の利用と開発、環境などについての河川整備基本方針(長期計画)と河川管理計画(中期計画)をつくるというものであった。なお、この計画策定について「必要があると認めるときは、公聴会の開催など関係住民の意見を反映させるために必要な措置を講じなければならない」などとした。
この改正は、勿論遅ればせとはいえ一歩前進ではあるが、限界もはっきりしている。 1つは、依然として川について「公共用物」という概念を維持しているということである。「公共用物」という概念は、川は国(自治体)の独占物であるとみるということであり、少しも市民と共有するという発想がみられないのである。例えばオーストリアで見られるように、市民(WWF)がライン川の氾濫原を買い上げ、国の土地と一体のものとして国立公園にして河川を守るという発想と比べると、何よりも政策の原点である法の原理論のレベルで、あまりにも旧態依然だと指摘せざるを得ない。一級河川は国、二級河川は都道府県というのも、いかにも中央集権的なシステムである。地方分権推進委員会の分権勧告に対して建設省が強固な抵抗を示したことは記憶に新しい。
このように、若干の改善を行ったとはいえ、この改正は後にみるアメリカやヨーロッパだ採用されているような河川の再自然化(ダムの開放や撤去を含む)や、国と自治体という縦割りの管理ではなく、河川ごとの流域管理という発想(1997年の河川法改正に民主党が対案として提出した河川法改正対抗案は、水系の思想に基づいてつくられていた)が欠落し、住民参加についても、吉野川河口堰の建設をめぐって行われた住民投票について、当時の中山建設大臣が、「民主主義の誤作動」と公言してはばからなかったことにみられるように、全く形式的かつ飾り物として付け加えられたに過ぎないのである。
なお、これに関連して最近、河川審議会管理部会が改めて行政と市民団体の「連携」を打ち出しているのも、住民参加を拒み続けている建設省への抗議だと読むべきであろう。
2. 「土地収用法」の改正について
建設省は、2000年9月29日、建設大臣に対して川辺川のダム建設事業を急ぐ必要があるとして、土地収用法に基づき未収用地と漁業権の一部について事業認定の申請を行った。しかしこの申請は、ダムの建設計画そのものに大きな問題が残されており、これを是正することなく強行することは大いに疑問のある措置である。
問題なのは、建設省が上のような現行法の適用にとどまることなく、公共事業概念の拡大に伴う適用事業の拡大、一層の効率化と迅速化、さらには損失補償における金銭補償の原則の見直しなどという観点から、土地収用法そのものの改正、すなわち市民の側からいえば「改悪」を検討しているということであろう。
現在の公共事業は、そもそも計画策定の段階から実施に至るまで、すべて行政が支配するという、民主主義国家では考えられないような歪んだシステムとなっている。これを是正することなく、土地収用法を強化することは、またまた「お上」を君臨させるもので、公共事業をその本質において、より国民と乖離させるとみるべきであろう。
3. 国土交通省の発足
2000年1月に発足する国土交通省には、当初から余りにも巨大すぎるという批判があり、行政改革会議の長でもあった橋本元総理大臣は、河川局を建設省から分離して農水省と一体化する国土保全省と、残りの建設省を他省庁と合体させた国土開発省に分ける二分割案を提案した。しかし、この案は河川局の反対でつぶされ、建設省、運輸省、国土庁、北海道開発庁が丸ごと一体となった国土交通省が誕生することになったのである。
この役所に対しては、一つ一つの事業に公共性があるかどうかということではなく、組織を維持し、予算を消化するためだけに仕事をするのではないか、合体するといってもいろいろな事業が総合化されるのではなく、結局従来のように縦割り行政が維持されるのではないか、巨大になった分だけ役所それ自体として権力を持つようになり、総理大臣でさえコントロールできなくなるのではないか、といった懸念が表明されている。
4.外国の河川行政とダム対策
治水あるいは利水のためにコンクリートダムを造るという政策は勿論日本固有な経験ではなく、ヨーロッパやアメリカでも古くから実施されてきている。そして、彼らはこの長い実験の中から、ダムの功罪について一定の結論を導きつつある。これをアメリカとヨーロッパに分けてみてみよう。
(1)アメリカ
1994年5月,アメリカ開墾局の総裁ダニエル・ビアードは「ダムの時代は終わった」と宣言して世界中を驚かせた。ダムの国を自負してきたアメリカでなぜダムが中止されたのか。
アメリカには、ダムを推進する大きな組識が3つある。開墾局のほか陸軍工兵隊とTVA(テネシー流域開発公社)である。
陸軍工兵隊は1993年のミシシッピー川・ミズーリ川の大洪水を次のように反省した。
治水のために良いと考えられてきた川の直線化が、水害を引き起こし、さらにその被害を拡大している。直線化は、以前より川の流れをはるかに速く、強くし、そしてこの速く、強くなった川の流れは最も脆弱なデルタ地帯を直撃した。そこは昔は洪水氾濫原として、人々は居住する事を避けていたが、堤防が造られたため、人々は安全と考え、住むようになり、このことが被害を拡大した。
重要な事は、自然を征服するという事ではなく、自然と共生する事、つまりできるだけこのような場所に住まないこと、仮に住む場合には洪水保険に加入するとかあるいは2階建てにするとか自分で対策を取れというのである。当時アメリカは役所がロックアウトされるほど財政難に陥っており,補償は不可能な状態であった。
これが転換の始まりである。その後、アメリカでは単に造らないというだけでなく、既存のダムの撤去を推進するようになった。2000年5月までに469のダムが撤去されている。
少し前まで、非現実的で急進的な主張だと思われていた撤去が、自治体、州、政府だけでなく民間のダム所有者の間でも、実現可能で合理的な選択肢となったのである。
2000年の秋までに、さらに19のダムが撤去される予定であり、小さなダムだけでなく、高さ200メートル級の巨大ダムの撤去も計画に入れられるようになった。
(2)ヨーロッパ
ヨーロッパの河川行政には2つの特徴がある。
1つはライン川やドナウ川といった大きな河川の場合、多くの国を通じて流れているという事である。時代によって各国の利害が優先した事もあるが、近年はEU加盟国全体で市民意識の向上もあり、自治体、国そしてEU全体で環境意識が向上している。
もう一つは近代河川工法についての反省である。1830年すなわち産業革命が進んだ時からこちらも近代河川工法が使われ、川を直線にし、大きな船の航行を可能とするための運河化や、水力発電のためのダムも造られていった。
しかしここでも、アメリカと同じように、1980年代から「川の再自然化」に取り組むようになっている。人間によって利用され尽くした川を、もう一度よみがえらせ、自由に氾濫させる事によって、洪水をやりすごすという、かっての日本がとっていた政策と類似の政策を採用するようになった。具体的にはこれまで堤防に押し込めてきた水を、堤防に穴を開けたり、あえて氾濫させて氾濫原に水を引きいれるという形で洪水を受け止めるというのである。
ドイツのバーデンブルグ州では、「総合ライン計画」を策定し、13の遊水池を作る予定になっていて、これが完成すると200年に一度の洪水にも対応でき、そのための費用は土地代を入れても日本円でおよそ500億円程度と極めて安いものである。ちなみに洪水が発生すれば6200億円の損害が発生すると予測されていて、コスト的にもこちらの方がはるかに有益である。
このような実験はオランダでも盛んである。オランダは国土の半分が海より低い国であり、このような土地で生きていくために様々な工夫を行ってきた。近代河川工法もそのような工夫の1つとして発達した。この技術が、明治期に日本に取り入れられたものだ。
しかしここでも、近代河川工法の欠陥は、アメリカと同じ様な意味で明らかになった。
そこでオランダでは1995年に国会でライン川について、次のような決定を行った。
1. 氾濫原を活性化し、ピーク時の川の水位を低くおさえる
2. 川底を広くし、川の流量を維持する
3. 自然林や川底を復活させ、川のスピードをゆるめる
そしてその集大成となるのが、2005年までにライン川のハ―リングフリート河口堰のゲートを開放するというものである。
現在、集積した危険物質を多く含む堆砂を取り除く方法を慎重に実験中であるが、ダムの開放は国民が全く新しい川の姿を見るというだけでなく、「川と共生する21世紀のライフスタイル」を作らせるのである。
5. 新しい河川政策=緑のダム構想
21世紀を迎えるにあたって私たちは、過去の河川行政の誤りを反省し、また外国などの経験を踏まえ、新しい河川政策に取り組むべきである。それには河川行政の目標を「コンクリートのダム」から「緑のダム」に切り替えなければならない。
(1)緑のダムの効用
我が国にある、およそ2600のダムの総貯水量は202億トンである。これに対して、林野庁の試算に依れば、我が国の森林2500万ヘクタールの総貯水量は1894億トンであり、ダムの9倍にもなる。そして森林には貯水機能だけでなく、水源涵養機能や土砂防止機能もあり、その効用はダムをはるかに上回る。
(2)緑のダムの費用
我が国の人工林約1000万ヘクタールの7割、700万ヘクタールの樹木は、いまだ35年以下の幼齢林、壮齢林であり、伐採できるようになるまでまだ50年以上もかかる。このような森林では、「間伐」や「蔓きり」が必要であるが、林野行政の貧困もあって、毎年20万ヘクタールほどしか行われておらず、150万ヘクタールの人工林が放置されている。この「間伐」は、ダム一個分の建設費用程度の2250億円でおこなう事ができ、それを実施すれば、ダムをはるかに上回る効用を得る事ができる。
(3)「緑のダム構想」
以上の考察の上に立って「緑のダム構想」を具体的な政策にすれば、次のようになる。
1. 我が国で現在計画されているダム(河口堰、頭首工などを含む)をいったんすべて凍結する。計画中のダム及び現在運用されているダム全てを「見直し委員会」で再検討を行う。そこでは治水、利水、環境などの観点と共に、計画が社会的にも是認されるものか否かも審査される。見直し委員会は専門家と市民によって構成され、行政は加わらない。
2. 健康な森林は国土保全の要である事を確認し、「緑のダム構想」を実現するため、現行の環境庁、林野庁、農水省に、建設省河川局(なおこれらは、今回の行政改革によって整理統合されている)を統合した「国土保全省」を発足させる。これは来年からの国土交通省を解体する「第二次行政改革」でもある。
3. 国有林に関わる、林野庁の財政赤字を全て一般会計で補填し、技能職員を増やすと共に、民有林には補助金を支払う。中山間地域では「山のお守り料」として、現地住民に対して現金給付(デカップリング)をするほか、全国の森を愛する人達の参加を求め、間伐、植林などの仕事を行う。
4. 都市の上流に「遊水地」を設けて洪水を受け止めると同時に、都市内部は自治体毎に水の管理計画を、都市計画として定める。都市計画には住民が参加し、河川管理、雨水利用、地下水の浸透と利用、水のリサイクル、節水、リクリエーションなどについて話し合われ、流域毎に連合体が作られれば、日本の伝統的な治水技術などが復活するであろう。
5. ダムの堆砂状況について情報公開し、排砂、運用中止、撤去などの方法を考える。
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