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2000/05/16
「天皇を中心とする神の国とは?」仙谷由人企画局長にきく
 野党やマスコミの批判に対し、「日本の文化・伝統を守るということだ」と弁解する森首相。しかし、真意はどこにあるのか。「天皇を中心とする神の国」発言の危険さについて仙谷由人企画局長に話をきいた。

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 今、国会の憲法調査会で憲法論議が始まっていますが、自民党に非常に多い憲法改正を主張する人の本音には、まさに天皇を中心とする神の国・日本の「国体」、国柄(くにがら)をマッカーサー=連合国によって変えられたという思いがあるようです。神である天皇ではなく、民を中心とする民主主義、民が議論をして決めるように変えた。そのことがけしからんという郷愁にも似た思いが自民党改憲論者の中にはあるのではないでしょうか。

 天皇を中心とする国とはどのようなものか。
明治憲法=大日本帝国憲法では次のような条文がありました。
 第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
 第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
 第5条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
 第6条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
 第10条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス
 第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
 第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
 第57条 司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ

 このようにすべての国家の立法・司法・行政その他の権力を天皇に集中するというのが「天皇を中心とする国」なのです。

 一方「神の国」というのは、大日本帝国憲法第1条で「万世一系の天皇」と書いてあるように、「神話の世界」、われわれの目に見えないところから連綿と続いている天皇家という虚構の上に成り立っています。つまり、権力の正当性の根拠は神であるということ。第3条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるように、神聖不可侵、アンタッチャブルだったのです。

 しかし、昭和21年の元旦に、「新日本建設に関する詔書」いわゆる天皇の人間宣言が出ています。それによると、

「朕ト爾等(なんじら)國民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終止相互ノ信頼ト敬愛ニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ旦日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ(ひいて)世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニ非ズ。」
 
 このように、昭和天皇は「私(天皇)と国民との結びつきは天皇を神とした架空の観念に基づくものではないのです」と昭和21年に宣言しました。

 ところが、戦前、大日本帝国憲法下で天皇を神とする天皇中心の国だった日本に戻そうとする考えを、森首相が持っているというわけです。

 これは民主主義国家・日本、国民主権国家・日本の首相として、基本的な資質を欠いています。人間宣言を経て象徴天皇と位置付けられ、政治権力から離れたところで国民の敬愛を集める天皇を政治的に利用する発言。礼を欠き、天皇をおとしめる行為といえます。

 わずか50数年前、戦前の天皇主権国家では、女性は選挙権もなく家制度の中で付属的存在として扱われていました。そして、天皇中心国家を現人神天皇の名のもとに悪用する軍国主義者たちが、国家総動員体制で「欲しがりません、勝つまでは」を国民は強いて、これに批判的な人たちは治安維持法で基本的人権を蹂躙されたのです。自民党的改憲論者に森首相が同調し、迎合することは、日本に新たなファシズムを招来しかねない。せっかく緒についたばかりの男女共同参画社会を水泡に帰し、国民の政治参加や政権・政治批判を弾圧することにもつながりかねません。

 私たちは森首相のこの危険な体質にノーの声を徹底的に突きつけて退陣を求め、次の総選挙で政権交代を成し遂げなければなりません。
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