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2001/07/28
12時間マラソンリレー演説会で6人の比例女性候補が訴え




 参議院議員選挙戦最終日の28日、民主党東京都総支部連合会(東京都連)では、朝8時から夜8時までぶっ通しの12時間街頭演説会を行った。題して「猛暑も小泉ブームも吹き飛ばせ!12時間耐久マラソンリレー演説会」。

 その第2ステージとして行われた「女性の元気が日本を変える!」に、参院選比例代表候補でキャラバン隊を結成して全国を走り回ったI.Y候補、K.R候補、M.Y候補、T.S候補と、障害者の自立と100%バリアフリーを主張しているH.K候補、政府の会計制度を変えようと主張しているK.M候補が顔をそろえ、道行く人たちにそれぞれの思いを訴えた。

 まず、自ら障害を持つ身で、全国を飛び回ってきたH.K候補が街宣車の上に登り、「北海道から沖縄まで走り回ってきた。何とか自分の身体がこの暑い夏の闘いに耐えられたことを、自分で自分を誉めてあげたいと思っている」と切り出した。そして、「私は障害を持って生きてきた。そして、障害はダメなもの、直さなければならないもの、そんなメッセージを受けながら生きてきた。でも一度しかない人生、誰でも同じ。だから堂々と、生き生きと生きていいんじゃないか。そんな思いの中で、障害を持った仲間たちとともに、地域で暮らしを作る、親元や家族という保護された場所から出て、また施設という管理された場所から出て、自分たちが住みたい地域を選び、そして一人の人間として、当たり前に生きる社会環境をつくる、働く、そして働いて税金を納める運動を続けてきた」と自らの歩んできた道を紹介した、そして、「これまで障害者は保護や哀れみの対象として、扱われてきた。でも、その意識をやっと抜け出そうとしている。だからこそ、今、21世紀の始めの年に、この政策決定の場に、何としても障害を持っている当事者が参加したい、そんな思いで立候補した」と説明した。

 そしてH候補は、「私は障害を持っている子どもたちは養護学校に行った方がいい」という教育には反対する。小さいときから別々に育っていては、障害を持っている子は特別な存在にしかならない。ともに遊び、けんかし、学びあうことで、お互いの違い、違いを持っている人たちが生きていくという他文化共生の基本が、小さいときに鍛えられる。そのためには統合教育が絶対に必要だと思っている」と持論を述べた。さらに、地方分権の必要性や、それぞれのバックグラウンドの違いで差別されることのない基本的人権の確立、障害を理由に、公共交通機関や公共建築物、また教育の世界、すべての分野から疎外されることのない「障害者権利法の制定」を政策としてあげ、「誰もが障害を理由にあきらめたりしない、堂々と生きられる社会をつくっていきたい」と主張した。

 キャラバン隊の先頭バッターとして、まず「子どもの笑顔と日本の元気のために」のキャッチフレーズで活動してきたI.Y候補がマイクを握った。I.Y候補は「日本の子どもたちのために働いていきたい。今、日本から小児科医が減っていることを知っていますか。診療報酬のシステムに問題があり、小児科医では開業できない、生活できないといっている。大病院に行っても専門医がいない。研修医や学生が診療している。この現状で医療先進国といえるのか」と語りかけ、子どもたちを守るために、母親の視線で政治をやっていきたいと訴え、それを実現できるのが民主党だと主張した。

 次に、「クオータ制を日本の常識に」と訴えているK.R候補は、「3人の子どもを育てながら夫の転勤で各地を点々として、子育てを通して、教育、食べ物の安全、環境、福祉を考えてきた。生活の問題は政治が変わらないとだめとつくづく思った。地縁も血縁も何もない土地から、日本の問題を見つめてきた。痛みを伴う構造改革をいうのなら、まず政治の場の構造改革が必要だ。環境や福祉の先進国では、議会の構成でどちらかの性を4割以上にする仕組みがとられている。それがクオータ制。当選したら、議員男女同数法をつくりたい」とアピール。さらに、「海外で通じる日本語に、カラオケと過労死がある。男らしさの枠に縛られて男性が生きにくくなっているのが今の日本。男らしさ、女らしさではなく、みんなが人間らしく生きられる日本にしたい」と呼びかけた。

 3番手は、「女性に開かれた社会を」と主張しているM.Y候補。「ずっと各県を回ってきて、長いようで短いような選挙戦だった。最大の収穫はそこに住むいろいろな人たちの意見を聞けたこと。励まされたり、叱られたり、抗議や議論がついケンカみたいになってしまったこともあった。でもそんな経験が貴重な財産になった」と17日間の選挙戦を振り返った。

そして、「私は31歳。同世代の人たちは社会ではある程度責任のあるポジションにつきはじめ、家庭では、子どもを持つ親となっている。そんな世代が漠然とした不安を社会に抱いている。子どもの育つ環境、生活の安定など、このままでいいのかと思っている。私は子どもたちが安全に暮らせるよう、スクールポリス制度の導入を提案している。地域の大人が地域の子どもの面倒を見ていくというイメージだ。ハードからソフトへの発想が地域社会の中でこそ大切だ」とアピールした。

 最後は、「ピープル・ファースト」のキャッチフレーズをかかげ、15歳の重度知的障害者の母親として、知的障害者の人権確立活動を熊本で続けてきたT.S候補がマイクを握った。

 「今でもこうした場所にいることが信じられない。でもこうやってマイクを握って訴えたいことがある。それは、私の愛する一人娘のことだ。重度のダウン症で全介護が必要な娘だ。こんな娘が今、切り捨てられてしまうような社会になるのではという危機感に迫られて、私は立ち上がることを決意した。これまで地元で活動してきたが、どんなに声を挙げてもせいぜい集められるのは50人。そんな時に、声をかけてくれ、日本中であなたの考えを訴えてほしいと言ってくれたのが民主党だった。弱者を切り捨てない政治のために立ち上がってほしいと言われ、2ヶ月間娘と別れて、こうやって弱者の思いを訴えてきた」。

 「私が娘の手を引いて歩いていると、皆さんの視線が変わる。哀れみの視線だったり、さげすみの視線だったり、見て見ぬ振りだったりする視線だった。そしてスーパーマーケットに連れて行ったとき、指を指して言われたことがある。『あの子は人間なの?』と。また、とても心の優しい人だろうが、私の娘の頭をなでて、『この子はいい子ね、天使ね』と言われた。私の胸は本当に辛い思いだった。私の愛する娘は障害者である前に、人間です。ピープル・ファーストとは障害者としてではなく、まず人間としてみてほしいということ。私は、この今の政治がなんだかおかしいと思う。小泉さんに代わっただけで、市場原理、経済最優先になるのか。そうしたら、一番最初に切られていくのは私の娘を含む社会的な弱者だ。そう思ったから立ち上がった」。切々と語りかけるT候補の目は次第にうるんできた。

 さらに、T候補は「小泉さんが乞食、ホームレス発言をした。みんな同じ人間なんです。切り捨てられたくないんです。私は、皆さんの思いを聞きながら政治をする人間になりたい。今はこうやって5分か10分で、大きな音で皆さんに迷惑をかけながら訴えるしか術がないが、でも民主党からこういう機会を与えられたことを感謝している。みんなこの国を良くしたいと思ってがんばっている。弱者を切り捨てない、安心して年をとれる国にしたいんです」と、最後は声を詰まらせながら思いを語った。

 最後に税理士として、公会計システムの転換に取り組むK.M候補が登場し、「税理士として、皆さんの悩みを肌身にしみてわかっている。税の無駄遣いが行われないようにするには、日本の国の会計制度を改めなければならない。なぜかというと、予算を使い切る制度だから。余ったら翌年に繰り越して使えるようにしたい。また、日本の財産がいくらあるのかもわからない。資産の有効活用ができていないケースも多いはず。国民が一目見てわかるようにしたい」と話し、税の専門家を国会に送ってほしいと訴えた。
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