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2006/05/30
近現代史研究会、昭和恐慌から戦時体制までの経済政策を学ぶ
30日午後、議員会館内において、民主党のシンクタンクである公共政策プラットフォーム(プラトン)の中に設けられた近現代史研究会(藤井裕久座長(元代表代行))の第7回会合が開かれた。

 今回は、第4回会合の続きとして、再び伊藤正直東京大学大学院教授を講師として招き、「戦間期日本の経済政策・金融政策(2)」と題して、主として昭和恐慌後の高橋財政から戦時経済体制までの経済・財政・金融政策について講演を聴いた。

 伊藤講師はまずケインズ以前にケインズ政策を実施したと言われる高橋是清の財政政策と昭和恐慌後の経済の回復の関係について、それが満州事変による軍事支出増加によるものであるという説と有効需要創出政策によるものであるという説があると述べた。そして、それぞれの予算金額は8億円程度であり、後者のほうが継続的に支出されているとしつつも、一度増やすと減額が困難な軍事費の方が大きな影響を与えたのではないかと語った。
   
 また伊藤講師は、当時には金本位制から管理通貨制への移行という、ケインズ的政策が行える枠組みが出来つつあったと述べた。講師は、日本は円安政策で輸出を伸ばした後に、英米的でなくドイツ的な為替管理政策に行き着いたと述べた。

 続いて伊藤講師は、財政面の要請から日銀による赤字国債の引き受けが行われ、日銀は高橋財政に押し切られたとの歴史的評価を行っているが、当時の日銀が積極的だったと言える面もあると指摘した。そして、2.26事件によって高橋が倒れた後は、馬場財政・結城財政と呼ばれる、軍部の軍事費増大要請に追随する財政となっていったとした。ここで講師は、入超による外貨資金の枯渇も始まったことを指摘した。

 伊藤講師は、日本の経済体力を超えた日中戦争の開始による経済破綻を防ぐために、戦時統制三法から国家総動員法に至る統制経済の手法が用いられたと説明した。同時に国債漸減主義が完全に放棄されて国債消化促進策の展開に至ったことや、皮肉にも直接税中心への税制の近代化が行われたことに触れた。

 伊藤講師は、さらに太平洋戦争期に至ると、価格統制の下でのハイパーインフレの発生など、計画経済化の進展と実績との乖離がすすみ、経済統制の限界から統制の弛緩という逆説的な現象が現れたと指摘した。また伊藤講師は、統制経済下での軍需会社指定金融機関制度が戦後の都市銀行によるオーバーローンと資金の偏在といった問題の原型であると指摘した。

 伊藤講師は最後に、戦費の調達が占領地域の現地銀行の負担によって行われて現地通貨のとめどない増発を招き、あるいは軍票の発行が行われ、占領地域に破局的なインフレをもたらしたと述べた。

 講演終了後、参加議員と伊藤講師の間で活発な質疑が行われた。
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