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2006/04/22
新松戸駅前で最終演説 民主党政権へ期待の声が会場埋め尽くす


 衆議院千葉7区補欠選挙区内の各所で補選勝利が日本の政治を変える原点になるとの訴えを繰り広げた菅直人代表代行、鳩山由紀夫幹事長、渡部恒三国会対策委員長は22日夜、最終打ち上げ演説会を行うためJR新松戸駅前に結集。演説会開始前からまさしく「押すな押すな」とばかりに詰め掛けた約4000人の聴衆を前に、力強い最後の訴えを展開した。演説会には広中和歌子副代表をはじめ、武正公一衆議院議員、大塚耕平、島田智哉子、黒岩宇洋各参議院議員、県会議員が多数、応援に駆けつけた。
 
 会場に到着すると大きな拍手と大歓声に迎えられた鳩山幹事長は「駅頭にお集まりのみなさん、ありがとうございます。ありがとうございました。本当にありがとうございます」と感謝の言葉をつなげた。
 
 壇上に並んだ菅代表代行と渡部国対委員長と志はひとつであると語った鳩山幹事長は、「この日本はこのままではいけない、日本の政治を国民の手に取り戻さなければならないとの志だけは誰にも負けない」と力説した。小沢代表、渡部国対委員長、そして自分自身も元は自民党議員だったことにも改めて言及。「鳩山一郎、私の祖父が51年前につくった政党が自民党だが、入ってみて驚いた」と述べ、国民のためとの主張を自民党も繰り返してはいるが、その実態は議員自身の立身出世のため、自らの懐を豊かにするための政治の私物化が横行しているのが自民党の実態だと指摘した。
 
 そうした自民党による政治の私物化を許している理由としてはあまりにも野党が弱すぎることにあるとの見方を鳩山幹事長は示し、強い野党をつくるため、清潔な日本の政治を甦らせるために小沢代表、渡部国対委員長、そして自分自身は自民党離党を選択したと歩んできた道を振り返った。同時に「小沢一郎新代表のもと、考えられる最高の布陣で政権交代を実現させていく」と語気を強めて主張するとともに、同日昼、同じ新松戸駅前で小沢代表が訴えた「この選挙に勝てば、来年の参議院選挙、来るべき衆議院選挙で勝利し、その結果、政権交代を実現させる」と語った一言を改めて披露。「政権交代を実現させたい」ではなく「実現させる」と確信を持って代表が発したそのフレーズの重要性を指摘し、この補欠選挙を起点に小泉政治に対峙する格差社会を是正する負け組ゼロの政治を作り上げていくと宣言した。
 
 渡部国対委員長はそうした鳩山幹事長の発言を受けてマイクを握り、自民党を離れて細川内閣を作り上げたことにふれ、「あのときは国民のみなさんが未来に希望をもってわきかえった。これで政治が変わると。なぜかといえば戦後60年間、政権を担当できる政党は自民党しかなかったからだ」と語った。渡部国対委員長は、「民主主義とはみなさんの1票によって政治を変えること。(政権を担当できる政党が)二つあればみなさんの1票で政権を選ぶことができる、しかし、それがひとつしかなければどんな悪い政治が行われても皆さんは変えることができない」と述べ、「それでは民主主義ではない」と力説。自民党に変わる政党をつくらなければ政治とは言えないとして、民主党を政権政党に育ててほしいと聴衆に呼びかけた。
 
 菅代表代行も「日本に政権交代がある民主主義をつくろうとの思いはまったく同じだ」と語り、代表、幹事長、国対委員長とも同じ思いのもと、力を尽くしていると報告した。「率直に言って、小沢代表、鳩山幹事長、渡部国対委員長は自民党のど真ん中にいた人だ」との認識も口にし、「3人が自民党にいたら小泉政権はなかったかもしれない。長男の家出と言われたこともあるが、家にいて黙っていれば父親のあとを継げたのにあえて家出をし、自民党に対抗する政治勢力をつくろうということで細川政権を生み出し、羽田政権を生み出してきた」と分析してみせた。そのうえで、4人に共通するその思いのもと、民主党が存在していることを改めて理解してほしいと訴えた。
 
 菅代表代行はまた、大都市を中心とする少子化の進行が物語っているように安心して子どもを生み育てられない日本の現状、未来に希望がもてない子どもたちの実態、額に汗して働くことや手に職を持つことを否定する社会の風潮、弱者切捨ての弱肉強食の社会構造など、日本社会に蔓延する解決すべき課題を列挙。そうした現状を前に、「社会を変えなければいけない」との思いを再確認し、それを民主党に結集すること日本社会を変えていかなければならないとを理解してほしいと声を限りに聴衆に呼びかけ、最後の訴えを締めくくった。
 
 午後8時に街頭演説会が終了しても興奮覚めやらぬ新松戸駅前からは聴衆が立ち去らず、街宣車から降り立った菅代表代行、鳩山幹事長、渡部国対委員長を囲み、「頑張れ」「まかせた」「民主党の再生に期待する」などと、口々に民主党政権実現を期待する声が寄せられ、延々と握手が続いた。
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