民主党衆院議員で運輸相などを務めた奥田敬和(おくだ・けいわ)氏が16日午前8時10分、胃がんのため東京都千代田区の病院で死去した。70歳だった。石川県出身。自宅は金沢市笠舞2-5-10。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。
早大卒業後、北國新聞記者、石川県議を経て、1969年の衆院選で旧石川1区から初当選して以来十回連続当選。石川1区選出。郵政、自治、運輸各相のほか、衆院外務、予算、議院運営、懲罰の各委員長を歴任。現在は民主党両院議員総会長をつとめていた。
自民党時代には旧竹下派「経世会」の旗揚げに加わり、同派「七奉行」の一人に数えられた。その後、93年6月、羽田孜・現民主党幹事長らとともに自民党を離党して新生党を結成。細川、羽田両連立政権では衆院議運委員長として国会運営を支えた。94年12月の新進党結成に参画。しかし、小沢氏の党運営に批判的な立場に転じ、羽田氏の「後ろ盾」に。96年12月に新進党を離党して太陽党を結成、最高顧問に就任した。その後、羽田氏とともに今年1月の民政党、4月の民主党結成に加わった。4月には勲一等旭日大綬章を受けた。
昭和44年初当選以来、奥田氏と常に行動を共にしてきた羽田幹事長は、談話を発表し、「二大勢力の必要性を強く訴え、行動してきた人である。奥田氏の死去は現在の日本の政治にとって、大きな損失だ」と哀悼の意を表した。
公職選挙法の規程により、補欠選挙は石川県選管が欠員通知を受け取った日から40日以内に行われる。
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