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2005/07/21
日本の近現代史調査会 原敬を中心に政党政治の形成について学習
21日午後、国会内において「日本の近現代史調査会」第6回会合が開かれ、東京大学の三谷太一郎名誉教授より、歴史認識問題の経緯に始まって日本における政党政治の確立過程とその中での原敬の役割にわたるテーマについて講演を受けた。

 三谷名誉教授はまず、なぜ今日、「歴史認識」の問題が政治問題化しているのかを取り上げ、冷戦時代には大きな戦略目的のために凍結されていた問題、とりわけ民族間の支配関係の問題が、冷戦終結とともに解凍されたためだと解説した。続いて、歴史認識は政策決定のために必要かと問いかけ、アメリカの著名な外交官であるジョージ・ケナンの共産圏に対する「封じ込め政策」の形成を例に引いて、過去の歴史の失敗の研究が政策決定に役立つと語った。

 次に教授は、明治以降、東アジアにおいて独自に複数政党制を成立させたのは日本だけであり、戦前における政党政治の期間は8年間であったが、それは大きな成果であると評価した。そして、明治憲法が集権的に見えながらも、天皇に代わるような機関を排除するために分権制を採用しており、それはアメリカ憲法にも類似するものであり、いずれの憲法も反政党的であると指摘した。しかし、いずれの憲法体制の下においても政権を統合することが必要であり、そこに政党の役割が必要とされるようになったと語った。

 教授は、政党政治確立における原敬の役割に話を進め、原敬による政友会内閣の特徴は、(1)初めて衆議院議員が首相となったこと、(2)議院と貴族院の捩れを解消していずれにおいても多数を制したこと、であるとした。そして原敬は、政党政治に対する敵対勢力であった軍部に対してはシビリアンコントロールによって、同じく反政党勢力であった検察に代表される司法部の日糖事件や大逆事件にみられる動きに対しては陪審制の導入で、牽制を試み、後者のみが日の目を見たことを説き明かした。教授は、原敬が外交路線をヨーロッパ中心から対米協調路線に転換し、中国への干渉政策を放棄し、東アジアにおける国際関係の安定を招くとともにワシントン海軍軍縮交渉の成功を準備した点を指摘し、その外政家としての側面をも評価すべきであると述べた。

 講演終了後、参加国会議員との質疑に移り、原敬は軍部へのシビリアンコントロールの具体策として何を考えていたのかとの質問に対して、教授は陸海軍大臣の文民化を考えていたと答えた。また、原敬が暗殺された原因については、石川淳の小説「白頭吟」を引きつつ、政治の玄人であった原敬と素人の間で認識とのギャップが大きかったこともあるのではないかと語った。
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