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2000/04/10
森首相の所信表明演説に対する代表質問(枝野議員)
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第147回国会代表質問
森首相の所信表明演説に対する代表質問
民主党 枝野幸男
私は、民主党を代表し、森総理大臣の所信表明演説に対して質問いたします。 冒頭に当たり、突然の病に倒れられ、闘病生活を続けておられる小渕前総理とその御家族の皆さんに対し、私からも心からお見舞い申し上げます。小渕前総理は、病に倒れるまで、総理としての責務に全力を尽くされました。私は、野党としての責務に全力を尽くすことこそが、何よりものお見舞いであると信じるものであります。
すなわち、与野党それぞれが、みずからの信じるところに従って全力を尽くして政策論争を繰り広げること、これが小渕総理の意思にこたえるものである、私はそう信じるところであります。
それにもかかわらず、さきほどの野中氏の発言(注:小渕前総理発病の一因は鳩山代表にもあるとの発言)は何でありましょうか。公党の党首がお互いに政策論争をぶつけ合ってきたことに対し、それが病気の一因だなどと本会議で発言することは、余りにも品位に欠け、非人間的な発言であり、民主主義の政策論争を否定する極めて卑劣な行為であります。小渕前総理の病に対する国民の同情を利用するような発言は、小渕総理に対しても極めて不謹慎であると思います。
この発言を聞いて、総理はどうお感じになったのか、率直にお答えいただきたいと思います。
さて、私は、日本の抱えるさまざまな問題点の中で最も深刻かつ本質的であるのは、法治主義の崩壊であると考えます。日本が、ルールなき社会となっているのであります。
その象徴的な問題として、私も、小渕前総理の急病という緊急事態におけるうそとごまかしについて、異議を唱えざるを得ません。
青木官房長官は、4月2日午後7時ごろ、小渕前総理から、臨時代理を務めるよう指示され、そもそも、何かあったら万事よろしくというのが本当に臨時代理の指名に当たるのかどうか疑問でありますが、その直後である午後7時30分ころ、容態が急変し、昏睡状態に至ったと述べておられます。
しかし、村上正邦氏の講演によれば、2日午後10時ごろから、村上氏と青木官房長官をはじめ、森総理ご自身も加わられた5人で協議し、臨時代理について決定したとされています。宮澤大蔵大臣も、この時点で、官房長官から臨時代理就任の打診を受けたとマスコミに明言されておられます。官房長官の説明が真実ならば、こうした協議や打診がなされるはずはありませんし、そもそも、その重大な指示は、午後11時の記者会見で発表されなければなりません。
森総理を含む5人の政府・与党幹部は、小渕前総理が昏睡状態であることを利用して、その指示をでっち上げ、首班指名選挙に次ぐ国政の最重要事項を私し、つじつまあわせのために嘘をついているとしか言いようがありません。もし、村上氏や宮澤大蔵大臣の発言がうそであると言い張るのであるならば、政府の正統性を疑わせる重大な発言を放置せず、大蔵大臣と自民党参議院議員会長の辞職を求めるべきであります。総理の具体的な認識と対応策についてお尋ねします。
そもそも、この間の不信は、医師団にその病状、経緯について発表をさせないところから生じ、混乱を呼んでおります。少しでも不信を払拭するために、森総理は、今からでも、小渕前総理が総理大臣であった間の病状及びその経緯について、国民に発表するよう、医師団及びご家族に要請すべきであります。
もちろん、総理を退任された現在のご病状については、御家族のお気持ちなどもしんしゃくし、一定の配慮がなされるべきであります。しかし、一億三千万国民の安全を一身に背負っていた総理在任中について疑念や不信を生むことは、小渕前総理も真意ではないはずです。総理の見解を求めます。
相次ぐ警察不祥事も取り上げなければなりません。大部分の警察官の皆さんは、今も真面目に努力されていると信じますが、このように不祥事が続いては、警察全体への信頼が揺らぎ、ひいてはモラルハザードの蔓延につながりかねません。対策は急を要します。
第一の問題は、新潟県警不祥事への国家公安委員会の対応です。 国家公安委員会は、不祥事への対応を、会議を開かない、いわゆる持ちまわり方式で決定し、これを正当化しました。しかし、警察法は、委員長及び三人以上の委員の出席がなければ会議を開き、議決することができないと明確に規定しています。
いかなる詭弁を弄しても、正当化は不可能です。公安委員会がルール違反にほおかむりするようでは、法治国家の自殺行為です。牽強付会の解釈を改め、責任を明確にしなければ、公安委員会への信頼は回復しないと考えますが、総理、いかがでしょうか。
第二は、森総理もかかわる石川県公安委員の加納氏に関する問題です。 加納氏は、平成10年9月30日まで、約二年にわたって森総理の後援会長を務め、退任からわずか3日後、石川県公安委員に就任しました。また、公安委員在任中の本年3月5日、金沢市で開催された森総理のパーティーに出席し、乾杯の音頭をとっています。
公安委員会は、政治的中立性を確保するための制度です。直前まで特定政治家の後援会長であった者は、仮に公安委員に推薦されたとしてもそれを断るべきでありますし、森総理の立場からも断るよう促すのが当然であります。また、政治家のパーティーは、選挙運動そのものではありませんが、選挙を見通した重要な政治活動です。そこに堂々と出席し、乾杯の音頭までとった感覚は、公安委員として失格と言わざるを得ませんし、これを依頼した森総理の見識も疑わざるを得ません。
総理はどのような責任をとられるのか、答弁を求めます。
第三は、警察改革の焦点である外部監察制度の導入について、政府・与党の一部から、これを否定する声が出ている問題です。
現在、警察庁のいわゆるキャリアは全体でわずか約四百人。同期が二十人前後の閉ざされた世界です。身内意識が生じないとしたら、その方が不思議です。現実に、新潟県警に対する特別監察など、内部監察が機能していない例は枚挙にいとまがありません。警察以外の不祥事については警察という外部のチェックが働きますが、警察を取り締まる警察は存在しないのです。だからこそ、外部監察の導入は不可欠なのです。総理の具体的な見解をお尋ねいたします。
第四は、桶川で、将来ある女子大生が、いわゆるストーカーの手にかかって殺害された問題です。
警察に訴えても守ってもらえない、しかも調書の改ざんまでしている。国民は一体だれに守ってもらえばいいんでしょうか。総理及び国家公安委員長は、殺害された女性とその御遺族にどうおわびをし、また、再発防止のために何をなさるのでしょうか。明確なお答えを求めます。
これに関連して、民主党は、既にストーカーの処罰に関する法律案を取りまとめ、今週中にも国会に提出する予定です。また、犯罪被害者に対する経済的支援と精神的な支援についても盛り込んだ犯罪被害者支援基本法案も、先週末に提出しています。これらの法律は一刻も早い成立が必要であると考えますが、総理の御見解はいかがでしょうか。
警察問題の最後に、昨年、強行採決の末に成立した盗聴法についてお尋ねします。明るみになった一連の不祥事の中には、証拠の隠蔽やでっち上げのような事案も含まれています。こうした現在の警察に、盗聴という強力かつ危険な権限を認めて良いのでしょうか。盗聴法は直ちに廃止すべきであり、少なくとも、警察改革が断行され、その信頼が回復するまでの間、その施行を延期すべきであります。総理のご見解をお尋ねします。
白川代議士の秘書らが交通違反の揉み消しで逮捕された事件は、古い政治がみずからルール違反と不公正に手を染めてきたことを、改めて白日のもとにさらしました。
ところが、自民党の複数の幹部は、今回の事件を反省するどころか、個別の交通違反に関する問い合わせくらいならば正当な行為であるとの発言をしています。行政が、把握する個人情報を当事者以外に教えることは、原則として公務員法違反の犯罪であり、問い合わせること自体、その教唆に問われかねない問題です。
こうした問題発言をする方が、与党の責任ある地位にあることをどう考えるのか。また、こうした政治の体質を抜本的に改めるため、民主党が制定を強く求めてきたあっせん利得罪の導入を急ぐべきではないのか。さらに、総理の事務所は、個別の交通違反に関する警察への問い合わせなどをしたことはないのか。御答弁を求めます。
森総理は、倫理観と道徳心を強調して、創造性豊かな立派な人間を育てると述べられました。このこと自体は、おおむね私も同感であります。
しかし、そもそも、倫理観と道徳心を失い、違法行為やルール違反すれすれの行為を繰り返してきたのは、だれでしょうか。
先週金曜日の新聞に、高校生が最もなりたくない職業は政治家であるとの記事が掲載されていました。悪いことばかりしている、うそつきばかりというのが、私たち政治家に対する子供たちのイメージです。ルールが軽視される不公正な政治を省みるとき、私は、こうした子供たちの声に対する、有効な反論の言葉を持ち得ません。
本当に教育を考えるならば、まずは大人が、特に政治が、ルールを守りうそをつかないという倫理と道徳の基本をみずから実践すべきであります。ルール無視の政治、癒着による不公正な政治の中心を歩んでこられた森総理がいかに声高に倫理や道徳を訴えても、説得力を持たないどころか、生まれるのは反発だけと考えますが、いかがでしょうか。
そもそも、総理の教育に対する認識は甘過ぎると言わざるを得ません。現在の教育は、安心して学校に行くことすらできない状態に陥りつつあります。教育の場で傷害事件や恐喝事件が繰り返され、教師による生徒に対するセクシャルハラスメントのニュースが、しばしば報道されています。学校には行けない、行かないという不登校の生徒、児童も、一部の問題ではありません。
文部省を頂点とする上意下達型の管理教轤ェ強化されるのに伴い、強い者にはこび、弱い者には強く出る体質に染まることを、教師も子供たちも余儀なくされてきました。これを潔しとしない子供たちと、他にはけ口のない最も弱い子供たちに、今そのしわ寄せが集中しているのです。長年にわたり文教行政の中心にあって、こうしたひずみを作り出してきたのは、森総理御自身です。
まずは、安心して登校できる学校を取り戻すこと。そのために、これまでの文教行政を反省すること。文部省による中央集権的管理強化教育を、地域社会、保護者、学校の三位一体による自主性尊重の学校運営に転換すること。このことが教育改革の出発点になければなりません。総理の御見解をうかがいます。
私は、1964年、ちょうど東京オリンピックが開催された年に生まれました。高齢化社会がピークを迎える2020年代には、私たちの世代が50代の働き盛りとして、より若い世代とともに、年金や介護を支えつつ、これまで蓄積された膨大な財政赤字と戦うことになります。
しかし、私は、少子高齢化に伴う負担増について、逃げるつもりはありません。私たちの世代は、高度経済成長など、先輩世代からそれ以上に大きな恩恵を受けているからであります。特に、少なくとも経済的、物質的な側面では、少子化によって兄弟の数が少ない分、より恵まれてきたことを忘れるべきではありません。その裏返しとして、将来、一人当たりの責任と負担がより大きくなることはむしろ当然のことだと思います。
問題は、私たちの担うべき負担が公平なものであるかどうかであり、私たちに残されるツケが、有効に使われた結果であるのかどうかです。
例えば、年金福祉事業団による運用の失敗で、厚生年金に1兆7千億円ものロスが生じています。その責任も明らかにしないまま、自主運用は拡大され、国民の負担する損失のリスクと運用コストも膨らみました。これで、年金給付額が削られ、あるいは負担が引き上げられたのでは、納得できるはずありません。
年金福祉事業団の運用損失に対する、総理の見解お伺いします。 現在、多くのお年寄りの皆さんは、決して十分ではない年金をさらに節約し、少しでも貯蓄に回そうと努力しています。万一、病気になった場合などの不安が大きく、それに備えたいという気持ちが強いからです。本来、社会保障制度が十分に機能すれば、受け取っている年金の範囲で十分な医療と介護が受けられなければなりません。しかし、社会保障のトータルビジョンは手つかずであり、特に、介護基盤整備のおくれによって、安心して年をとることができないのです。
その一方で、政府は、景気対策と称して公共事業をばらまき、財政赤字を拡大させています。当面の景気対策のために、一定の財政出動がやむをえないとしても、どうしてそれを、介護基盤整備等に集中投資しないのでしょうか。特別養護老人ホームなどを、必要十分なだけ整備すること、特に、その住環境を考えるならば、個室化を急ぐこと、あるいは、高齢者住宅やグループホームについても、目標を前倒しして、必要数を確保すること。そして、ホームヘルパーなどの養成を集中的に実施すること、こうしたことのために必要な費用は、この間にばらまかれた公共事業費に比べれば、微々たるものです。
少子高齢社会を乗り切るために必要不可欠な費用として使われた結果であるならば、その財政赤字の負担を私たちは喜んで引き受けます。しかし、目先の利権と人気取りのために生じた多額の債務がツケ回されるとしたら、到底容認することができません。何よりも、今、参政権を持たない子供たちに対して、余りにも無責任であります。
高齢化のピークをどのようにして乗り切ろうとしておられるのか。そのためのコストについてどう考えているのか、多額の債務をツケ回される子どもたちに対して、どのような言いわけをなさるおつもりなのか。森総理の御見解をお伺います。
明治維新以来の大変革期であると言われて、もう何年たったでしょうか。森総理を含め、ほとんどの政治家が改革を唱え、しかし、改革は全く進んでいません。
明治維新のとき、幕府の中にも、開国という改革を断行して暗殺された井伊直弼がいましたし、勝海舟のような倒幕側以上の改革派も存在しました。しかし、百年後の私たちは、徳川幕府が続いていては、日本の近代化は不可能であったことを、冷静に振り返ることができます。いかに変える意欲があったとしても、さまざまな既得権としがらみに取りつかれた体制では、時代の流れについていくことは不可能なのです。
ましてや、森総理の所信表明から、改革への具体的な意欲を感じとることはできません。真に、時代の流れに対応し、日本を立て直すためには、幕府を倒す、つまり政権交代以外にはないのであります。
民主党は、確かに若い政党であります。しかし、明治新政府で日本の近代化を実現したのも、経験に乏しい若者たちでした。今、必要なことは、既得権としがらみを断ち切る勇気以外にはありません。少なくとも、私たちはこの勇気を持っています。
未来のために、勇気を持って、私は変えたい、このことを訴えて、質問を終わります。ありがとうございました。
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