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2001/10/18
衆議院議員在職二十五年の永年勤続表彰への謝辞
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衆議院議員 中野 寛成

 私は、この度院議をもって永年在職議員の表彰のご決議をたまわり誠に光栄に思い、心から感謝申し上げます。

 これもひとえに恩情あふれるご指導をたまわりました先輩諸兄および友情に満ちた同僚のお陰であり重ねて感謝申し上げます。

 特に、「魔の大阪三区」といわれた選挙区で勝ち抜くことができましたことは、旧大阪三区および分区後の現大阪八区の皆様や格別のご支援をたまわりました各種団体の皆様のお陰であり、厚くお礼申し上げます。

 私が政治家を志したのは、小学校一年生の時でした。長崎での原爆体験と無医村での疎開生活の中で、「戦争や原爆を無くし、無医村に医者を呼ぶことのできる仕事」として政治家という仕事があるとの父の言葉がきっかけでした。

 その後も父の事業の数回の失敗によって貧困生活が続く中で、中小零細企業対策や育英制度の充実など政治家への決意は益々固まりました。

 大学入学と同時に六〇年安保騒動にまきこまれましたが、丁度その頃、世界平和、議会制民主主義の確立、福祉国家の建設を党是とする民社党が誕生。胸をときめかせて早速入党。

 豊中市議会議員を経て、若くして急逝された岡沢完治代議士の後を受けて諸先輩のお推めにより衆議院に立候補、その時は落選しましたが、四年後の昭和五十一年、ロッキード事件直後の選挙で初当選、ついに夢の代議士になることができました。

 その後は、永らく文教委員会に属し、政争の具になりがちの文教行政をたてなおすことに心血をそそぎ、後に民社党の政策審議会長や書記長として、非自民・反共産の野党結集と二大政党制をめざし頑張ったものです。

 続いて、細川内閣、羽田内閣を支え、日本政治の改革にとりくみましたが、残念ながら与党生活も短命に終り、改めて野党の結集をめざし、新進党、新党友愛、民主党へと離合集散をくりかえしましたが、終始、政策調査会長などとして政策畑を歩み、中道勢力の結集と二大政党制による議会制民主主義の完成と社会政策の充実による国民生活の向上をめざし続けてきた誇りだけは今日も堅持しております。

 今、改めて内外の諸情勢を見るとき、テロ問題に世界は揺れ、私が政治家の目的とした平和、教育、医療、中小企業、貧困等の問題は古くて新しいテーマとしてその深刻さの度合いを拡大しております。

 ふりかえって、改めて自らの非力を思うとともに、歴史的使命の重大さを思い、残された力をふりしぼって政治、経済、社会システムの改革に邁進する決意を新たにするものであります。

 皆様の今後とものご指導をお願い申し上げます。
 最後に、苦労をかけた家族、事務所の諸君にも心から感謝します。

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