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1999/05/18
中央省庁等改革関連法案に対する代表質問(池田議員)
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衆議院本会議
中央省庁等改革関連法案に対する代表質問
民主党  池田 元久

 私は、中央省庁等改革関連法案のうち、特に焦点となっています財政と金融に関わる部分について総理大臣及び関係大臣に質問を致します。


(総理大臣・内閣の責任)

 バブル崩壊後の不況が長びいていますが、不況のそもそもの出発点であるバブル経済について、当時も大蔵大臣だった宮沢大蔵大臣は去年の夏の国会で、適切に対処しなかったと責任を認め陳謝しました。

 バブルの発生は、財政政策のしわ寄せから金利が二年三ヶ月も当時として史上最低の利率のまま据え置かれたことが最大の原因であるとされています。

 田中内閣のときの狂乱インフレもそうですが、財政が金融を従属させ、金融政策にツケを回したことによって経済と国民生活に大きなマイナスを与えました。

 日銀の速水総裁も総裁就任の直前新聞に寄稿して「私自身の過去半世紀にわたる体験から自然に身についた確信を持って財政と金融の分離は必要だ」と強調しています。

 私達は政府の組織の中で財政機能と金融機能を分離することが重要と考え、去年の夏から秋にかけてのいわゆる金融国会で大蔵省から独立したかたちで金融危機管理の司令塔として金融再生委員会の創設を主張し、実現を致しました。

 その際、九月十八日の党首会談に続いて十月一日夜には自民、民主、平和・改革の三会派の幹事長もまじえて実務者の間で『金融再生委員会設置に伴う財政と金融の完全分離及び金融行政の一元化は、次期通常国会終了までに必要な法整備を行い、平成十二年一月一日までに施行する』と覚書が交され、野中官房長官もここに同席して確認したことはご存知の通りです。

 合意の内容は大変明瞭です。ことし二月末から開かれた三会派の実務者会議はこの合意を具体化するためのものでしたが、自民党は金融の破綻処理制度と危機管理の企画立案について金融庁と財務省の共管にするという案を持ち出し、譲りませんでした。この案は合意そのものを真向うから踏みにじるものであり、その結果実務者協議は決裂しました。

 小渕総理、財政と金融の完全分離と金融行政の一元化は、官邸で行われた党首会談であなたが民主党の菅代表と約束したものです。

 小渕内閣と自民党では「信義」という言葉は死語になったのでしょうか。

 先月二十六日の党首会談で小渕総理大臣は「三会派協議は残念な結果に終ったと聞いている」と述べたようです。丸で他人事のような発言を聞いて大変あきれました。

 自民党総裁として合意を実行するためリーダーシップを発揮すべきです。また、総理大臣としても官僚などの抵抗があればこれを排除すべきです。最高責任者である総理大臣に責任回避でない見解を求めたいと思います。

 世界経済にも大きな影響を与える日本の金融危機に直面した去年の金融国会で、政府、自民党が提案したのはいわゆるブリッジバンク法案で、大手銀行を中心とする危機に対応できないものでした。

 このため私達は日本発の金融恐慌を防ぐ為に特別的公的管理を中心とする金融再生法案を提出しました。

 その間小渕内閣の倒閣を狙う一部勢力もありましたが、私達は強い危機感から政局よりも金融危機の管理・克服を優先しました。

 ところが、小渕内閣は私達が提案した金融再生法をほとんど丸呑みしたあと、一転して倒閣を狙っていた勢力との連立に踏み切りました。政権の延命と政党の生き残りが目的だといわれていますが、これではまさにポリシーのない、無節操な離合集散といわれてもやむをえません。

 小渕総理大臣が約束した財政と金融の完全分離と金融行政の一元化は、金融国会を乗り切るための一時凌ぎの方便だったのでしょうか。総理大臣の明確な見解をおききしたいと思います。


 去年一月二十日の自民・社民・さきがけの合意とそれに基づく中央省庁等改革基本法では、財務省が「当分の間」、金融の破綻処理制度と危機管理の企画立案を担当することになっていました。

 ところが、政府、自民党は今回私達との覚書を踏みにじったばかりでなく、さらに、この「当分の間」も反故にしてしまいました。そして危機管理などの企画立案は期限をつけないで財務省に担当させることにしました。

 自・社・さ合意からもさらに後退したことになります。これは今回の合意破棄に悪乗りし、大蔵省=財務省の権限の失地回復に手を貸したものといわざるをえません。

 基本法の成立からこれまで僅か一年足らずの間、「当分の間」を外す理由が出てきたのかどうかも含めて総理大臣の見解をお伺いしたい。


(共管)

 次に一元化の約束に反した金融庁と財務省の共管の問題について質したいと思います。

 まず、自民党は三会派の実務者会議を決裂させた後、公明党・改革クラブとの間で金融の破綻処理制度と危機管理の企画立案について財務省と金融庁の共管とする。但し主務官庁は金融庁にするということで合意したとされています。

 「共管だが、主務官庁がある」というのはどういう意味でしょうか。提出された法案をみても主務官庁を示す規定はありません。官房長官の明確な答弁を求めます。

 そもそも金融庁に国内金融の企画立案を担当させながら、破綻処理制度と危機管理の企画立案だけを財務省と共管にするのは何故か。

 自民党の池田行彦政調会長は実務者会議で「財政出動をするには財務省との共管にしておかないと責任をもてない」という趣旨の発言をしています。

 しかし、財政出動は何も金融だけに限られるわけではありません。この発言に従えば、災害対策、安全保障などすべての危機管理部門を財務省が持たなければならないという理屈になります。そんな理屈は通らないことは明らかです。財政出動が必要な場合には財政当局つまり財務省の主計局と協議すれば済む話です。なぜ通らない理屈を並べても、権限の維持に執拗にこだわるのか疑念を持たざるをえません。総務庁長官の見解を質したいと存じます。


 私達はバラバラな金融行政の主体の一元化をめざして金融再生委員会の設置を提案しました。しかし、私達民主党は危機に迅速に対応するため、来年からは金融行政を再生委員会に一元化することを前提に、今年中はとりあえず危機管理の企画立案を大蔵省と共管とすることで政府自民党と折り合い、再生委員会をスタートさせました。

 しかし、政府自民党はこの暫定的に認めたはずの共管を固定化して金融行政の一元化をないがしろにしました。共管により財務省が金融行政に関与できることになります。共管は責任の所在があいまいになり、民間金融機関にとっては二元行政が続くことになります。

総務庁長官の見解を伺いたいと思います。


(金融庁・金融再生委員会)

 次に金融庁長官を大臣にしないことについて質したいと思います。金融庁長官を大臣にしないということは財務省との関係が実際上対等にならないことになります。

 そうであれば、これまでと同じように金融行政、金融政策が財務省の都合により決定される恐れがあります。現在の金融危機を招いた構図がそのまま残されることになるといえます。金融庁を財務省の下に置こうという狙いがあるとすればなおさら改革に逆行します。

 金融庁長官を大臣にしない理由についてお答え頂きたいと思います。

 ここで金融再生委員会について一言申し上げますと、野中官房長官が先月十六日民主党の羽田幹事長に「金融再生委員会は水を得た魚のように活躍している」と発言されたときいております。私も官房長官ほどではありませんが、これまでの大蔵行政と比べれば少ないスタッフにもかかわらず、ずっと厳正に行政を進めているとみています。

 金融再生委員会は立法の時申し上げましたように、国務大臣を委員長として責任を全うさせるとともに、三条委員会として中立・公正を確保するという両者を兼ね備えた組織です。

 裁量行政からマーケット中心の金融行政への転換を迫られている現在、事務方がトップの金融庁ではなく金融再生委員会のような組織の存在が益々重要になってくると思われます。従って従来型の官僚組織の枠組みの中で金融庁の設置を考えるのではなく、時代に合わせた観点から金融再生委員会の組織を発展させることによって金融行政の体制を整備すべきではないかと考えます。

 官房長官の考えを伺いたいと思います。


(大蔵省幹部の言動)

 戦後、軍と内務省が解体され、大蔵省だけが無傷のまま残りました。狂乱インフレ、バブルの発生、住専の処理、大手の銀行、証券の破綻、それに省内に蔓延した過剰接待汚職、いずれも大蔵省に大きな責任があります。

 最近では日債銀の出資問題で大蔵省の審議官が金融機関に出資を要求した際の確認書の存在が明るみに出て、密室の裁量行政がなおも続いていることが浮き彫りになりました。

 こうした中で、大蔵省の榊原財務官は三月末「日本でも財政・金融分離とかバカな議論がある」と述べたことが明らかになりました。榊原財務官が在籍したことのある大蔵省の財政金融研究所では九十三年にバブル経済の原因について「財政再建を優先しすぎたため、金融政策に過度の負担がかかった」と分析しています。榊原財務官はこうした全うな考えにあえて目をつむって、まさに大蔵省の省益擁護のために次元の低い愚かな発言をしたといわざるをえません。また、政党間で協議が行われているさなかにこのような発言をしたのは大蔵省幹部のおごりというしかありません。

 大蔵省の幹部の間では金融部門について一定の権限確保に成功した。次は不祥事で去年見送られた幹部人事だという声があるといわれています。

 そこには巨額の財政赤字と金融危機を招いた責任どころか、去年接待汚職で職員二人が逮捕された他、百十二人にのぼる処分者を出したことに対する責任、反省はまったく見ることができません。このような役人のおごりを許しているのは政治のリーダーシップがないからだといわざるをえません。

 大蔵省幹部の言動と綱紀について総理大臣と野中官房長官の考えをお伺いしたいと思います。


(さいごに)

 大蔵省の改革は「行政改革の一丁目一番地」といわれています。しかし、小渕内閣は、財務省に金融に関する権限を一部残した昨年の中央省庁改革基本法をさらに後退させました。このため去年成立させたばかりの基本法は一年で早くも改正案というよりも改悪案を出す始末となりました。

 ここ数年積み上げられてきた行政改革の核心である大蔵省改革の流れを、小淵内閣が、土壇場で後戻りさせた責任は極めて重いといわなければなりません。

 小淵政権に疲労した国のシステムを変革する勇気がないとするならば、退場するしか途のないことを申し上げて私の質問を終わります。

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