東日本大震災の復興ビジョンを作る「復興構想会議」の初会合が14日午後、首相官邸で開催された。復興会議のメンバーは、議長に防衛大学校長の五百旗頭(いおきべ)真氏、議長代理に建築家の安藤忠雄氏、特別顧問に哲学者の梅原猛氏が就任、被災地である岩手県の達増拓也、宮城県の村井嘉浩、福島県の佐藤雄平各知事など合計15人(構成は下記ダウンロード参照)。6月末までを目途に第一次提言を取りまとめる。
挨拶に立った菅直人総理(党代表)は、「大震災はわが国にとって戦後65年のなかで最も大きな危機であることは皆さんも同感ではないかと思う。同時にこの危機を乗り越えて、どのように日本を、東北地方を再生させていくか、まさにこれからの皆さま方の議論がスタートになろうかと思っている」と語った。そのうえで「ただ元に戻すというのではなくて、改めて作りだすという、創造的な復興をぜひお示しいただければと思っている。同時に、大きな災害を受けた各県の知事にもご参加いただいているが、そういった地域の皆さんの声をしっかりと受け止めることが必要」と述べた。
菅総理はまた、「人間の生き方ということも、こういう大きな出来事のなかでどうあるべきかということについて、政治の社会では議論しにくいところもあるが、ぜひ、自然と人間の関係とか、人間の生き方ということも含めて深い洞察をお示しいただければと思っている」「東日本大震災の復興が、日本国の再生、さらには日本人のよりよい社会を生み出す大きなきっかけになったと後に言われるような案をお示しいただきたい」として、自由闊達な議論を行い考えを開示してもらい、(復興の)方向性を示してほしいと求めた。また、6月末までに案を提示してもらい、それを基本として具体的な復興作業に入っていく考えを表明した。
続いて菅総理から五百旗頭議長に諮問書が手渡された。議長は挨拶で、歴史研究の専門家として第二次世界大戦は日本史における空前絶後の惨劇と理解していたが、会議に先立ち13日に行った被災地視察で第二次世界大戦以上の凄まじさを衝撃を持って受け止めたと報告した。
五百旗頭議長はまた、「針の先ほどの偶然で友は死に私は生き残った。亡くなった彼の分まで頑張ろう」との、第二次世界大戦の記録を読んでいてリフレインされる言葉を示し、戦後日本の奇跡と言われた復興の原動力は個々の日本人のそうした思いがあったとの見方を示すとともに、神戸大震災後の復興でも同じ言葉が言い交わされたと紹介。そのうえで「新しい、希望の持てる日本社会への転機としていくことがこの会議に求められている」と述べ、英知を集めることは当然だが、多くの犠牲者の弔いを行う共同体として、日本を復興しようという思いを共有する会議と位置付けていきたいとして協力を呼びかけた。
梅原特別顧問は京都で研究者として生きているが生まれは仙台市で、漁民の血を引いていると自らを語り、漁業関係者が大きな痛手を負ったことは人ごとではなく涙が出る思いだったとしたうえで、復興ではなく新しい日本の建設でなくてはならないとして、復興構想会議の議論に全力をあげてとりくんでいくと表明した。
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