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2006/04/11
近現代史研、日清戦争までの外債政策と経済ナショナリズムを学ぶ
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 11日午後、議員会館内において、民主党のシンクタンクである公共政策プラットフォーム(プラトン)内に設けられた近現代史研究会(座長:藤井裕久元代表代行)の第2回会合が開かれ、前回に引き続き三谷太一郎東京大学名誉教授を講師に迎え、「日清戦争にいたる明治国家の外国借款政策と経済ナショナリズム」のテーマで講演を聴いた。

 三谷講師は、19世紀後半の発展途上国であった明治国家は債務国であったが、日清戦争前に発行された外債は二つしかなかったと述べ、外債依存度が低かったことを指摘した。その原因として、二つの既存外債の重圧、金保有高の少なさなどに見られる経済的信用の乏しさと不平等条約に見られる政治的信用の乏しさ、幕府のフランスからの借款容認政策への反発などがあったとされた。この初期明治政府の姿勢を象徴するものとして、明治天皇の対外借款への消極姿勢が紹介された。そして、当時は対外借款は対外従属を招くものと捉えられていたことが指摘された。

 三谷講師は、このような外債に対する消極姿勢をもとに財政を展開した中心人物は、松方デフレで知られる松方蔵相であるとした。松方財政は、超均衡財政、準備金を貿易業者に貸し付けて外貨による返済を受けることによる対外正貨の獲得、政府紙幣や銀行券の日銀券への切り替えなどによって、財政と金融の分離を実現しつつ、通貨価値の安定と信用制度の確立をもたらしたとされた。三谷講師は、このような経済政策は、ひとえに不平等条約の改正による真の政治的独立を目指すために経済的ナショナリズムに基づいていたと述べた。

 そして三谷講師は、不平等条約の改正と日清戦争の勝利の後、このような消極的な外債政策が転換され、積極的な外債発行が行われたことを指摘し、それは経済的ナショナリズムの時代の終わりであり、植民地帝国としての道の始まりであったと述べた。

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