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2000/01/16
現在と未来に責任を持つ「新しい政府」を創ろう
民主党代表 鳩山由紀夫

 いま、日本の政府に求められていることは、二十世紀末の大転換にふさわしい舵取りをすることです。にもかかわらず小渕総理の楽天主義は、ひたすら危機のシナリオに向かって突き進んでいます。二〇〇〇年度政府予算案は、一般会計が八五兆円となりましたが、借り換え債を含めて国債発行額はそれを上回り、先進国の中で最悪の財政赤字をさらに拡大させることになってしまいました。これはすべて、総選挙だけに目が奪われて、「何でもあり」の予算を計上した結果です。
 地方を含めた公債残高は今年度末で六〇〇兆円を超え、二〇〇〇年度末にはGDPの一三〇%に達するという天文学的数字です。その額は、国民一人当たりの借金に換算しますと、少なくとも五〇〇万円を大きく超えています。一体、このつけ回しを政府はどうしようと考えているのでしょうか。

 新しい世紀の入り口に立ち、政府には、将来に備えてやらなくてはいけない仕事がたくさんあります。それなのに、介護保険料徴収を先送りにし、医療保険制度の抜本改革も見送ったうえに、整備新幹線のように、赤字財政の下では辛抱しなくてはいけないものまで大盤振る舞いするといったバラマキを続けています。公共事業のシェアはなんら変わらないままです。要するに、この政府には、構造改革の意思など全くないとしか言いようがありません。

 政府の無気力と無責任が、財政赤字の垂れ流しをも引き起こしている最大の要因です。これ以上、こうした旧い体質の政府を続けさせるなら、この国の未来は危ういと私は感じています。このまま、欲望に任せて電車を走らせてはいけないと思います。いま国民にとって必要なのは、財政規律をしっかりと守り、その上で、政府に何ができるか、今何に着手すべきかを真剣に考え行動する「新しい政府」です。

 しっかりとしたモラルに支えられた安心感のある社会――その実現こそが何よりも必要とされています。そのためには、自己責任と自己統治の精神が不可欠であり、他人に負担と責任を転嫁しない毅然とした心構えが重要です。実は国民は、そうした社会の実現を促す「責任ある政府」の登場を待ち望んでいるのです。
 「政府は余分なことをしないでくれ」「税金の無駄遣いはやめて欲しい」「私たちに変な気遣いするより、やるべきことをやってくれよ」と、思っているのです。
 「政治家なら、本当の言葉を語るべきだ」「自らを律する範を示してもらいたい」「言い訳はよしてくれ、行動で示せよ」と、いつも感じているのです。

 民主党は、統一して間もない政党です。しかし、それは弁解になりません。また、時代も待ってくれません。変化のスピードは速いし、何よりも決断し迅速に行動することが求められているのです。
 民主党は、この政官業癒着の政治の世界で、政権交代可能な民主主義を実現するために生まれた政党です。私たちには、ごく普通の庶民感覚から外れた不正な現実を放置したくないとの想いがあり、歪んだ構造を変える責任があると痛感しています。だから、いま、“その場凌ぎ”と“先送り”の「旧い政府」に決別し、現在と未来に責任を持つ「新しい政府」を実現しなくてはならないと切実に願うのです。

 民主党が、景気対策の必要性を十分知りながら、なおかつ財政規律にこだわり、財政構造の改革を強く求めているのは、「政治が自己を律して範を示す気概を失ったところに国が成り立ったためしがない」という経験則に基づいています。これは、歴史が私たちに教えてくれた貴重な教訓でもあります。

 民主党が「新しい政府」を担うのならば、無駄な公共事業は大胆に中止し、十年以内には公共事業の三割を削減したいと思っています。二十一世紀の早い時期にはEU各国の財政健全化基準GDP比六〇%の水準まで財政赤字を縮小し、将来世代へのこれ以上の不当なつけ回しは止めさせなくてはいけません。それが未来に対する政治の責任だと、私は考えています。
 アメリカでは九〇年代に入った頃からIT(情報技術)革命が進行して経済の活性化を持続させてきましたが、日本における情報基盤の整備、とりわけ市内電話やインターネットなどに関する通信料金の低廉化などについての政府の取り組みは立ち後れたままです。小・中学校や高等教育における情報リテラシー(識字率=パソコンなど情報機器の操作能力)の向上にも後れをとっています。IT革命を促進する規制改革も遅々としたままです。これは、自民党政府が、相変わらず従来型公共事業のばらまきに終始して、これらの分野への集中投資促進と戦略的支援を怠ってきたためです。
 私は、二十一世紀の新しい経済と社会に備えて、これらのIT革命促進のための強力な支援策と基盤整備を最優先に取り組んでいきたいと思っています。わけても、インターネット接続料の引き下げ促進、情報関連予算の一〇倍化計画の実施などに早急に着手します。規制改革を実行して、十年間で現在の半分にまで規制を削減したいとも考えています。

 そして、これからの日本にとって重要な政治課題として、日本の主体性を発揮した外交政策と現実的安全保障政策の展開があります。日本は、これまで外交・安全保障上の判断と責任の多くを米国に依存してきましたが、これからは、そうした米国が作り出した世界からの受益者としてではなく、自ら判断し積極行動をとる主体的かつ明確な外交姿勢の時代を迎えています。すなわち、「平和の受益者」から「平和の創造者」への転換です。
 特に、二十一世紀には、東アジア地域における経済的・社会的・文化的及び安全保障上の地域協力がさらに進展することになります。日本として、これらの多角的な地域協力について明確なビジョンを示すとともに、その発展に向けて確かなリーダーシップを発揮していくことが求められています。

 これらのほかにも、着手しなくてはならない課題が山積しています。「保育や介護などで徹底した安心社会の構築」「新世紀をリードする環境立国・日本の創造」「未来のための人づくりを担う学校改革の推進」「連邦分権型国家への転換」などです。さらに、新しい世紀にふさわしい国の姿を構想し、その基本的枠組みとなる憲法のあり方についても国民的議論を起こしていく必要があります。

 私は常に、社会はどのようにして成り立つのだろうかと考えています。それは、「人は一人では生きられない」という単純な原理に立ち返ることから始まると思います。地域にコミュニティがあり、共に支え合い、協力し合う構造があって初めて、社会は成り立つし、個人の自立も可能となります。インターネット時代では情報コミュニケーションを通じて人々は横に結び合っていきます。そして、その「連なり」があってこそ、それぞれの人生は楽しく、愉快で、信頼に足るものとなるのではないかと思っています。政党は、そうした国民一人ひとりの連なりの場を提供し支援する装置でもあります。

 ところが、いま、その社会が危うくなっています。刹那主義がはびこり、わがままがまかり通り、他人の事は二の次とする風潮が強まっています。そんな社会の隙間から、学校崩壊や猟奇的犯罪や大人社会の無責任が生まれているのではないかと思っています。本気で「自分のことさえ良ければいい」と思っている人は少ないのに、何故、日本という国はこんなふうにおかしくなってしまったのでしょうか。いつの間にか、家族や友人のことさえ鬱陶しく感じ、現実逃避を選択してしまう弱さも持ち合わせるようになってしまいました。しかも、国の将来のことや政治の現実のことになど関心ないと思う気持ちさえ蔓延しています。こうした現実を私は十分知っているつもりです。

 しかし、その一方で、私たちには、「想像力」という名のすばらしい能力があること、また例えば東チモールやコソボの難民が困難に陥っていることを知れば何とかしたいと考える優れた「同情の精神」を持っていること、困っている隣人を自らの手で助けてあげたいと思う「友愛の心」があることも承知しています。

 私は、いま、民主党が中心の「新しい政府」が生まれたならば、こうした国民の気持ちを受け止め、未来に向けてもっと希望の持てる「最良の国」にしていきたいと思っています。本書にとりまとめた基本政策は、そうした想いから生まれた、私たちの「国民への提案」に他ならないのです。
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