菅直人代表代行は9日、被爆61周年を迎えた長崎市を訪れ、爆心地に近い平和公園で行われた市主催の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列。民主党の代表として献花を行うとともに、原爆死没者へ慰霊と平和への祈りをこめて黙祷を捧げた。
式典は長崎市立長崎商業高校の2年生2人の司会で進められ、被爆者や遺族など約4800人が出席。市長と遺族代表2人が2831人分の名簿3冊を奉納し、原爆死没者名簿は無名死没者分の白紙1冊を含め計141冊、死没者数は14万144人に上った。原爆投下時刻の11時2分には、全員が起立し、1分間の黙祷を捧げた。
長崎市の伊藤市長は長崎平和宣言冒頭で、「人間はいったい何をしているのか」と訴え、未だに世界には人類を滅亡させる約3万発もの核兵器が存在していると指摘した。また、核不拡散条約の検討会議が昨年、成果もないまま閉幕し、その後も進展がないことに言及するとともに、10年前に国際司法裁判所が出した「核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反する」とした勧告を提示。米国によるインドの核兵器開発の黙認、核兵器の保有宣言をした北朝鮮による我が国はじめ世界の平和と安全に対する脅威、イスラエルやイランの核開発疑惑を列挙し、「世界の核不拡散体制は崩壊の危機に直面している」と危機感を強調した。
そのうえで、今年を核兵器廃絶に向けた「再出発の年とすることを決意する」と語り、「思い出したくない悲惨な体験を語り続ける被爆者の姿は平和を求める取り組みの原点」と訴え、「被爆者の願いを受け継ぐ人々の共感と連帯が、必ずや核兵器のない平和な世界を実現させるものと確信している」と述べた。
被爆者代表の中村キクヨさん(82)は「平和への誓い」を読み上げ、爆心地から5・8キロも離れていたにもかかわらず、足の踏み場もない惨状と化した我が家と次々に船で送られてくる重症者の救護に追われた経験、さらには、「次男の白血病は母体からもらったものだ」と医者から言われた被爆2世の次男を白血病で亡くした心の傷を口にした。そのうえで「今、戦争のおろかさ、怖さ、むごたらしさを『伝えなければならない』との切羽つまった思いがある。残された人生で出来る限り努力し続ける」と宣言した。
式典には横路孝弘衆議院副議長、角田義一参議院副議長はじめ、長崎選出の高木義明副代表、犬塚直史参議院議員が参列した。
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