トップ > ニュース
ニュース
ニュース
2006/05/18
近現代史研究会、伊藤博文と明治憲法制定について学ぶ
記事を印刷する



18日午後、議員会館内において、民主党のシンクタンクである公共政策プラットフォームに設けられた近現代史研究会の第5回会合が開かれ、兵庫県立大学の瀧井一博教授を講師に迎え、「伊藤博文の描いた『国のかたち』−その1:明治憲法の制定を考える」をテーマとする講演を聴いた。今回の講演は前半部分であり、後半部分の講演は次回の会合で行われる。

 会合は細川律夫事務局長(衆院議員)の司会の下に始まり、冒頭に藤井裕久元代表代行が挨拶に立ち、今までも伊藤博文の話はいろいろ聴く機会があったが、明治憲法と伊藤との関係に焦点を当てたものは初めてであると述べた。

 瀧井講師は、自らがウィーン大学に留学していたことからオーストリア国民議会の副議長を案内した経験に触れ、同国の副議長を通じて日本とオーストリアの間には縁があると述べて講演を始めた。そしてその縁として、オーストリア帝国議会副議長のクルメツキーが議会制導入に際して日本政府に助言を行ったことに対する伊藤博文からのお礼の手紙を示した。

 瀧井講師は、明治憲法制定に向けて多くの日本人が欧州等で調査を行った資料に接することができたことから、明治憲法について流布している考え方に疑問を感じ、研究をすすめたと語った。そして、明治憲法について流布している考え方は、明治政府を保守反動の藩閥政府と進歩的な自由民権運動との関係で捉える戦後歴史学から来ており、このような見方は内在的におかしいだけでなく国際的な視野が欠けていると述べた。

 瀧井講師は、当時の3つの大きな憲法調査団の中で、伊藤博文の憲法調査はすでにプロシャ型の憲法とすることが決まった後のものであったと述べた。しかし、伊藤は調査の過程で議会制度の確立に自信を深めるとともに、国家学者シュタインの知遇を得て、憲法のみならず行政をも見通した立憲国家の全体像、即ち「国のかたち」というべきものを教えられたとした。

 瀧井講師は、伊藤は自らの国のかたちを踏まえて、当時宮中において盛んであった天皇親政運動について、いかに英明な君主といえども個人に政治が依存することは望ましくないとの考えから、その封じ込めを図ったとした。そして、官制改革や大学改革をすすめるとともに、天皇の政治活動を制度化するために枢密院を設けたと述べた。

 瀧井講師は、伊藤の立憲制に対する考え方は、それは文明の制度であるという評価であり、伊藤は国力の基礎は国民の開化であって、他国との競争のためには人民の学力の向上が必要であるとの認識を持っていたことを、彼の演説をもとに解説した。

 そして瀧井講師は、伊藤は憲法制定後に変身し、行政から憲政へ、すなわち政党政治へと考えを変えていったと語った。ただ大隈重信と異なって、伊藤の考え方は長い時間をかけて漸進的にその実現をはかるものであり、一種の進化論的な発想であるとした。

 講演終了後、仙谷由人座長代理(衆院議員)の司会の下に、活発な質疑が行われた。

記事を印刷する
▲このページのトップへ
Copyright(C)2024 The Democratic Party of Japan. All Rights reserved.