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活動
民主党パキスタン地震支援対策本部
民主党パキスタン地震支援対策本部現地調査団報告書
5. 視察・会談要録
5-5. ハダル被災地域の視察
ホテルを8時に出発し、イスラマバードから北へ100kmほどのハダル、バタグラム被 災地域へ向かう。バタグラムは日本の国際緊急援助隊が救助活動を展開している地域だ。 今回の震災で深刻な被害を受けた山岳地域である。
マンセーラで観光大臣、環境大臣らと合流。大臣らは野営病院、食料配給所や地域代表からの聞き取りを行う予定である。若林団長は環境大臣、藤田団員は観光大臣の車に同乗し、被災地へ向かった。
午後2時過ぎにハダルに到着。山間に建つ家屋が軒並み倒壊していた。環境大臣に被災者が走りよってきた。被災者は学校の教師。今回の災害で500人の生徒を失ったという。 視察を続ける大臣らの周りに一挙に被災者が集まった。人々は口々に惨状と助けを訴えた。 大臣らは被災者を前に政府の救援策を説明した。辺りには家屋を失った人々があちらこちらにあふれていた。
次の村に向かう途中の山間の道端でしばしば、援助物資を積んだトラックが被災者たちへ配給している光景をみかけた。こうしたトラックは全国から来たボランティアによるものや外国のNGOなど様々であった。山間の奥地まで入り、被災地域一体の状況を確認し、ハダル調査を終えた。

全壊した小学校痕に立つ少女

被災民から聞き取りを行う観光大臣

道路脇にトラックを停め援助物資を配布するところ
5-6. 日本の国際緊急援助隊キャンプの訪問
午後6時、バタグラムにある日本の国際緊急援助隊キャンプに到着した。援助隊の隊長である難波充典氏(外務省国際緊急援助室長)から救出活動についてブリーフを受けた。
  • 山岳部の村、急勾配の箇所が壊滅した。家屋の構造が耐震性でない。コンクリートの中には鉄筋が入っておらず、もろい構造である。
  • バタグラムにはパキスタン軍の指示で来た。軍の情報が正確でなく、埋まっているという被災者数がかなり違っていたりした。
  • 救助隊の目的は生存者救出にあるが、一人も生存者を救出できなかった。震災後5日が経過し、生存の目途である72時間をすでに超えている。
  • 生存者救出を妨げた要因は複数ある。1つは即死状態が多かったこと。もう1つは土と石の家屋のため瓦礫が空間をふさぎ窒息死したことがあげられる。
  • 生存者救出は時間との勝負。救助隊は商用機を乗り継いできたため、かなりの時間を要してしまった。救助活動にはチャーター機や専用機の利用が必要である。
  • 最先端の捜索機器を持ち込んだが、土とコンクリートの被災現場では全く役に立たなかった。小型のショベルカーなどが必要だった。

日本の国際緊急援助隊の皆さんと
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