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2011年6月22日以前の情報その他で、新サイトに盛り込んでいないデータを掲載しております。
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活動
民主党パキスタン地震支援対策本部
民主党パキスタン地震支援対策本部現地調査団報告書
5. 視察・会談要録
5-7. 州議会議員との会談
  • 過去に例のない災害で人々は相当なショックを受けている。備えがあればこれほどの被害に到らなかっただろう。
  • 耐震性のある住宅ではないために1つの家屋が倒れると、将棋倒しのように他の家屋が倒壊していった。
  • 避難施設、すなわち、テントや毛布が最も必要だ。
  • 野党のリーダーであるが、緊急事態であり、与党の弱点を追及したりはしない。
5-8. 鉄道大臣、環境大臣、観光大臣との懇談
  • ハダル被災地の視察を共にした環境大臣らとイスラマバードへ戻る途中にマンセーラで再度合流し、被災状況について意見交換した。
    また、ピース・ウインズ・ジャパンが取り組む救援活動において、テント輸送が滞っている問題について、懇談中に鉄道大臣がパキスタン航空社長や首相府関係者に電話し解決を試みた。


    • 震災を受け今回初めて、関係大臣でチームを構成し、一緒に被災地を回っている。チームで動くことで様々な問題やニーズに素早く決断し対応できる。
    • 政府は現在、テントビレッジ構想を推奨している。テントをばらばらに配布するのではなく、100から200のテントを1箇所に張り、コミュニティーにするというもの。テントの一部を公共トイレ、医療施設にする。
    • テントコミュニティーを設けることで、これまで支援が行渡っていなかった被災者へも公平かつスムースに援助が届くようになる。
5-9. ムサハラバード被災地域視察
  • 7時半にホテルを出発し、最も被害の甚大な地域の1つである、カシミール州の州都ムサハラバードに向かった。ムサハラバードは元々、山紫水明の地でパキスタンでも有数のリゾート地である。被災地までの道のりの大半は山岳地帯を抜けるものであり、途中に何箇所もがけ崩れ跡があった。
    午後1時、ようやくムサハラバード到着。街の大通には国内外からの救援トラックが多数行き交っていた。歩道には家を失ったと思われる被災者が援助品を求めて立っていた。大統領ゲストハウス、政府や軍隊などの公共施設が軒並み倒壊していた。こうした行政機関の壊滅的状況によって、中央政府に被害状況が伝わらず初動の遅れにつながったようだ。
    ムサハラバードはニラム川の両岸に沿って町並みが形成されている。川に面した建物はがけ崩れにあい、悉く瓦礫と化していた。川べりに10強のテントが張られていた。被災者数からすると。決定的にテント数が不足している。瓦礫の中には行方不明者が今でもいるが、捜索・救出は地理的事情や救助人材不足から十分に取り組まれていない。町の壊滅的被害の中、生き残った被災者が最も求めているのは、避難施設やテント、毛布である。
    軍病院が倒壊し、同じ敷地内に設営された医療テントを視察した。フランスのNGO医療チームが運営していた。応急措置としてのモルヒネ、抗生物質の投与や簡単な手術を行うとのこと。重症者はイスラマバードへヘリコプターで搬送されるそうだ。この病院を出るとき、トルコからの救助隊に家族の死体撤去を頼んでいる被災者に遭遇した。ムサハラバード視察の最後に、川べりで野宿生活をしている被災児童たちに用意していた御菓子を配った。

土砂崩れ痕

全壊した政府庁舎

医療テントの中
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